櫛
出土される櫛は、縦長で歯の部分がとくに長い竪櫛です。
櫛は、占有のしるしなので、櫛を女の髪にさすことは、その女を妻とすることで、櫛を投げ捨てることは離縁を意味するとあります(何に書いてあったか忘れました)が、このような習慣が縄文時代に芽生えていたのかどうかはわかりません。
髪(かみ)は髪(くし)ともいわれ、髪(かみ)は切っても切っても伸びることから,直接的に生命現象を感じさせ、また肉体から離れても腐敗しないので、その生命力が崇拝されたのでしょう。
櫛は、そのような髪に挿すので、櫛に呪術的な意味を見いだしていたと考えます。
つまり、「生命を生みだす力」に神を感じていたことにつながるのです。
『古事記』では伊邪那岐命が湯津津間侯(ゆつつまぐし)を挿しています。
須佐之男命が八俣遠呂智(やまたのおろち)退治のときに、櫛名田比賣(くしなだひめ)の姿を湯津爪侯(ゆつつまぐし) に変えて挿しています。
伊邪那岐命が黄泉国から逃げてくるときに、その櫛を投げて、追い払いますが、また追いかけられ、
最後に「桃」を投げることによって、助かるのです。
この記述は、縄文人が魔よけにしていた櫛よりも、渡来人の持ってきた桃の方が威力が強いのだと主張しているのだと思います。
縄文時代の遺物である「土偶」、「石棒」、「櫛」、縄文土器に記されている「蛇」の模様からも「生命を生みだす力」に神を感じていたのでしょう。