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 神武天皇 

西暦年 天皇 天皇年 干支 月 日 出  来  事
BC667 神武   甲寅    
          東征決意(45歳)
        10月5日 東征開始
          速吸之門(ハヤスイナト)で珍彦(ウズヒコ)に出会い、案内を依頼
          筑紫の国の宇佐に到着。足一つあがりの宮を造営。
        11月9日 筑紫の国、岡水門(オカノミナト)到着
        12月27日 安芸国、埃宮(エノミヤ)に到着
BC666 神武   乙卯    
        3月6日 吉備国に移動。行宮の高嶋宮を造営。3年間留まる。
BC665 神武   丙辰    
BC664 神武   丁巳    
BC663 神武   戊午    
        2月11日 東征再開
        3月10日 河内国草香村(カワチノクニクサカムラ)の青雲の白肩津(シラカタノツ)に到着
        4月9日 竜田へ向かうが道が険しく引き返し、生駒山から内つ国へ向かうが、久舎衛坂(クサエノサカ)で長髄彦と合戦。五瀬命(イツセノミコト)負傷す。
          形勢不利のため草香津へ退却
        5月8日 茅渟(チヌ・・・和泉の海)の山城水門(ヤマキノミナト)に至る。
          進軍中に五瀬命死亡。竈山(カマヤマ)に埋葬される。
        6月23日 名草邑に到着。女賊・名草戸畔(ナクサトベ)を誅殺する。
          佐野を越えて熊野の神邑(ミワノムラ)に至り天磐盾(アマノイワタテ)に上る
          海を渡るときに暴風に遇う。天皇の兄である稲飯命(イナヒノミコト)が剣を抱いて海に入り鋤持神(サビモチノカミ)となる。また天皇の兄である三毛入野命(ミケイリノミコト)が波頭を踏んで常世の国に行く。
          皇子手研耳命(タギシリミミノミコト)と伴に熊野の荒坂の津に到着
          丹敷戸畔(タンシキトベ)と言う女族を誅殺する。この時神が毒気を吐く。皇軍振るわず。そこに夢のお告げを受けた高倉下(タカクラゲ)というものが天から下された「ふつのみたま」と言う剣を天皇に献上する。それにより毒気が払われる。
          内つ国へ向けて出発。山中で迷う。天から使わされた八咫烏(ヤタノカラス)が道案内をし宇陀(ウダ)の下県(シモツコオリ)に到着する。この時、指揮統率を行なった日臣命(ヒノオミノミコト)に道臣(ミチノオミ)という姓を与える。
        8月2日 宇陀の県のかしらである兄猾(エウカシ)と弟猾(オトウカシ)を呼ぶが、弟猾だけが来て兄猾の悪計を告白する。
          道臣命に命じて兄猾の悪計を調べさせる。道臣命は兄猾の悪計を見つけ、兄猾を攻め立てる。兄猾は自らの悪計により自ら死を選ぶ。
      9月5日 天皇、宇陀の高倉山に登り国を見渡す。
        10月1日 国見丘にて八十梟帥(ヤソタケル)を破る。
        11月7日 兄磯城(エシキ)に使者を送るが答えず。八咫烏を遣わすが、兄磯城は殺そうとする。八咫烏は弟磯城(オトシキ)の所に行く。弟磯城はささげ物をしてもてなす。
          弟磯城をして、兄磯城を説かせるが、兄磯城は拒否する。
          兄磯城を攻め打つ。
        12月4日 長髄彦と合戦するも勝敗付かず。
          長髄彦が天皇に「天神の御子である櫛玉饒速日命に仕えている。天神の子は二人もいるのか」
          天皇が答えて言う「天神の子は多くいる。天神の子であるならばしるしを見せよ」
          長髄彦は饒速日命の所持しているしるしを天皇に見せる。天皇は「いつわりでない」と納得される。
          天皇は一度帰り、ご自分のしるしを長髄彦にみせる。長髄彦は恐れ入るが、考えを変えず。
          饒速日命は考えを変えない長髄彦を殺し天皇に帰順する。
BC662 神武   己未    
        2月20日 士卒を選び訓練。
          県(アガタ)の波哆(ハタ)の丘岬(オカザキ)の新城戸畔(ニイキトベ)という女賊を軍を遣わして討つ
          和珥(ワニ)の坂下の居勢祝(コセノハフリ)を軍を遣わして討つ
          臍見(ホソミ)の長柄(ナガラ)の丘岬(オカサキ)の猪祝(イノハフリ)を軍を遣わして討つ
          高尾張邑(タカオワリノムラ)に土蜘蛛(ツチグモ)を葛の網で捕らえて討つ
        3月7日 橿原(カシハラ)の地に都を作る事を宣す。
          同月、都作りに着手
BC661 神武   庚申    
        8月16日 正妃を探し始める。媛蹈鞴五十鈴媛が候補に上がる
        9月24日 媛蹈鞴五十鈴媛(ヒメタタライスズヒメ)を召して正妃とする。
BC660 神武 1 辛酉    
        1月1日 橿原宮にて即位。正妃を皇后とする。
BC659 神武 2 壬戌    
        2月2日 論功行賞を行い、道臣命を築坂邑(ツキサカムラ)、大来目(オオクメ)を畝傍山の西、川辺の地に封ず
          椎根津彦を倭国造に、弟猾に猛田邑(タケダムラ)を与え、弟磯城を磯城の県主に、剣根を葛城国造とした。
BC658 神武 3 癸亥    
BC657 神武 4 甲子    
        2月23日 鳥見山に神々の祀り場を設けて高皇産霊尊を祀る。
BC656 神武 5 乙丑    
BC655 神武 6 丙寅    
BC654 神武 7 丁卯    
BC653 神武 8 戊辰    
BC652 神武 9 己巳    
BC651 神武 10 庚午    
BC650 神武 11 辛未    
BC649 神武 12 壬申    
BC648 神武 13 癸酉    
BC647 神武 14 甲戌    
BC646 神武 15 乙亥    
BC645 神武 16 丙子    
BC644 神武 17 丁丑    
BC643 神武 18 戊寅    
BC642 神武 19 己卯    
BC641 神武 20 庚辰    
BC640 神武 21 辛巳    
BC639 神武 22 壬午    
BC638 神武 23 癸未    
BC637 神武 24 甲申    
BC636 神武 25 乙酉    
BC635 神武 26 丙戌    
BC634 神武 27 丁亥    
BC633 神武 28 戊子    
BC632 神武 29 己丑    
        神渟名川耳尊(カムヌナカワミミノミコト)生誕
BC631 神武 30 庚寅    
BC630 神武 31 辛卯    
        4月1日 御巡幸。腋上(ワキカミ)の嗛間(ホホマ)の丘に登る
BC629 神武 32 壬辰    
BC628 神武 33 癸巳    
BC627 神武 34 甲午    
BC626 神武 35 乙未    
BC625 神武 36 丙申    
BC624 神武 37 丁酉    
BC623 神武 38 戊戌    
BC622 神武 39 己亥    
BC621 神武 40 庚子    
BC620 神武 41 辛丑    
BC619 神武 42 壬寅    
        1月3日 立太子。皇子の神渟名川耳尊(カムヌナカワミミノミコト)を皇太子とする。(皇太子14歳)
BC618 神武 43 癸卯    
BC617 神武 44 甲辰    
BC616 神武 45 乙巳    
BC615 神武 46 丙午    
BC614 神武 47 丁未    
BC613 神武 48 戊申    
BC612 神武 49 己酉    
BC611 神武 50 庚戌    
BC610 神武 51 辛亥    
BC609 神武 52 壬子    
BC608 神武 53 癸丑    
BC607 神武 54 甲寅    
BC606 神武 55 乙卯    
BC605 神武 56 丙辰    
BC604 神武 57 丁巳    
BC603 神武 58 戊午    
BC602 神武 59 己未    
BC601 神武 60 庚申    
BC600 神武 61 辛酉    
BC599 神武 62 壬戌    
BC598 神武 63 癸亥    
BC597 神武 64 甲子    
BC596 神武 65 乙丑    
BC595 神武 66 丙寅    
BC594 神武 67 丁卯    
BC593 神武 68 戊辰    
BC592 神武 69 己巳    
BC591 神武 70 庚午    
BC590 神武 71 辛未    
BC589 神武 72 壬申    
BC588 神武 73 癸酉    
BC587 神武 74 甲戌    
BC586 神武 75 乙亥    
BC585 神武 76 丙子    
        3月12日 崩御(127歳)。
BC584 神武   丁丑    

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