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 景行天皇

西暦年 天皇 天皇年 干支 月 日 出  来  事
71 景行 1 辛未    
        7月11日 即位(84歳)
72 景行 2 壬申    
        3月3日 播磨稲日大郎姫(ハリマノイナビノオオイラツメ)を皇后とす
73 景行 3 癸酉    
        2月1日 紀伊国に御幸されようと占ったが吉と出ず中止
74 景行 4 甲戌    
        2月11日 美濃に御幸す。滞在中に弟姫を召すが人妻で有るので姉の八坂入媛(ヤサカノイリビメ)を推挙し天皇は召される
        11月1日 美濃より戻り、纏向に宮を作る(日代宮(ヒシロノミヤ))
75 景行 5 乙亥    
76 景行 6 丙子    
77 景行 7 丁丑    
78 景行 8 戊寅    
79 景行 9 己卯    
80 景行 10 庚辰    
81 景行 11 辛巳    
82 景行 12 壬午    
        7月 熊襲が叛く
        8月15日 筑紫に向かう
        9月5日 周芳の娑麼(スワノクニノサバ)に着く
          鼻垂(ハナタリ)・耳垂(ミミタリ)・麻剥(アサハギ)・土折猪折(ツチオリイオリ)を討つ
          豊前国の長峡県(ナガオノアガタ)に着き行宮を作りその場所を京と呼ぶ.
        10月 碩田国(オオキタノクニ)に着く
          速見村に着く。そこで速津媛という長から皇命に従わない土蜘蛛がいると教えられる。
          来田見邑にとどまり仮宮を作る。
          石室の土蜘蛛を討つ
          禰疑山(ネギノヤマ)の土蜘蛛を討とうとしたが、うまくいかず退く。再度体制を整え討ち破る。
        11月 日向国(ヒムカノクニ)に行宮を作る
        12月5日 兵士を使わずに熊襲を討つ方法を検討
          熊襲の八十梟帥(ヤソタケル)の二人の娘を召して梟帥の様子を伺い不意を突けば血を流さずにすむと進言するものあり
          八十梟帥の二人の娘を召す。姉がはかりごとが有るといい、任せると八十梟帥に酒を飲まして寝込んだ隙に弓の弦を切り従兵に殺させた。
          この出来事の不孝を嫌われ、姉を殺させた。妹は火国造(ヒノクニノミヤツコ)に賜った。
83 景行 13 癸未    
        5月 襲の国をことごとく平らげる。御刀媛(ミハカシヒメ)を召される(6年間滞在しているとの記載あり)
84 景行 14 甲申    
85 景行 15 乙酉    
86 景行 16 丙戌    
87 景行 17 丁亥    
        3月12日 子湯県(コユノアガタ)にいかれ、丹裳小野(ニモノオノ)に遊ばれる。
88 景行 18 戊子    
        3月 都に帰る時に筑紫を巡幸された。最初に夷守(ヒナモリ)につく。
        4月3日 熊県(クマノアガタ)に着く。熊津彦兄弟を呼んだが、弟がやってこなかったので、弟に兵を遣わして討つ。
        4月11日 海路より葦北(アシキタ)の小島に泊まる。
        5月1日 葦北から船出をして火国(ヒノクニ)に向かう。夜になり、遥かに見える火を頼りに進むと八代県の豊村に着く
        6月3日 高来県(タカクノアガタ)から玉杵名邑(タマキナノムラ)にいく。土蜘蛛津頬(ツチグモツツラ)を討つ
        6月16日 阿蘇国(アソノクニ)に着く
        7月4日 筑紫後国(ツクシノクニノミチノシリノクニ)三毛(ミケ)に着く
        7月7日 八女県(ヤメノアガタ)に着く
        8月 的邑(イクハノムラ)着
89 景行 19 己丑    
        9月20日 大和に帰着
90 景行 20 庚寅    
        2月4日 五百野皇女(イオノノヒメミコ)を遣わして天照大神を祭らせる
91 景行 21 辛卯    
92 景行 22 壬辰    
93 景行 23 癸巳    
94 景行 24 甲午    
95 景行 25 乙未    
        2月12日 武内宿禰(タケノウチノスクネ)を遣わして北陸と東方を視察させる。
96 景行 26 丙申    
97 景行 27 丁酉    
        2月12日 武内宿禰帰着。日高見国攻略を勧める
        8月 再び熊襲背く
        10月13日 日本武尊を熊襲を討たせるために遣わす。
        12月 熊襲の国に着
          魁帥(タケル)が新築祝いをしようとしている宴席に童女のように髪をたらして乗り込む
          ころあいを見計らって討つ。弟彦を遣わして他の者を斬る
          帰途、吉備に行き穴海を渡ったところで悪神を殺す
          難波に至るころ柏渡の悪神を殺す
98 景行 28 戊戌    
        2月1日 日本武尊が熊襲を平らげた様子を奏上
          稚足彦尊(成務天皇)生誕
99 景行 29 己亥    
100 景行 30 庚子    
101 景行 31 辛丑    
102 景行 32 壬寅    
103 景行 33 癸卯    
104 景行 34 甲辰    
105 景行 35 乙巳    
106 景行 36 丙午    
107 景行 37 丁未    
108 景行 38 戊申    
109 景行 39 己酉    
110 景行 40 庚戌    
        6月 東国の蝦夷が叛く
        7月16日 東国の蝦夷を討つために派遣するのは誰が良いか下問する
          大碓皇子(オオウスノミコ)を日本武尊が推薦する
          大碓皇子は驚いて隠れる。このため、美濃国をまかされる。
          日本武尊が討伐にいく事を仕方なく名乗り出る
        10月2日 討伐に出発
        10月7日 伊勢神宮参拝。倭媛命、草薙剣を渡す。
          相模から上総に渡るときに暴風にある。弟橘媛が入水すると暴風がやむ。弟橘媛入水にて亡くなる
          上総から陸奥国へ入る
          蝦夷の支配地、竹水門で蝦夷を従える
          蝦夷の日高見国から甲斐国に至り酒折宮に付く
          甲斐から武蔵・上野を巡って碓日坂に着く
          吉備武彦を越の国へ遣わす
          信濃から美濃に抜ける。吉備武彦と再会
          尾張に戻り宮簀媛を娶り長く滞在。
          五十葺山(イブキヤマ)の荒ぶる神を倒すため剣を置いたまま五十葺山に向かう
          山の下の泉(居醒井(イサメガイ))で病を発す
          伊勢の尾津に移る
          野褒野(ノボノ)で病状が悪化し。虜にした蝦夷を伊勢神宮に献上。吉備武彦を奏上のため天皇の下へ遣わす。
111 景行 41 辛亥    
          野褒野にて日本武尊亡くなる。(30歳)
112 景行 42 壬子    
113 景行 43 癸丑    
          日本武尊の功績を伝えるため武部を定める
114 景行 44 甲寅    
115 景行 45 乙卯    
116 景行 46 丙辰    
117 景行 47 丁巳    
118 景行 48 戊午    
119 景行 49 己未    
120 景行 50 庚申    
121 景行 51 辛酉    
        8月1日 立太子。稚足彦尊(ワカタラシヒコノミコト)を皇太子とす。(皇太子、24歳)。武内宿禰を棟梁之臣(ムネハリノマエツキミ)とする。
          倭姫命が伊勢神宮に献上された蝦夷を、天皇に献上する。
          蝦夷が礼節をわきまえないため、播磨・讃岐・伊予・安芸・阿波に移す。
122 景行 52 壬戌    
        5月4日 皇后亡くなる
        7月7日 八坂入媛命を皇后とする。
123 景行 53 癸亥    
        8月1日 巡行を決定
        8月 伊勢から東海道に入る
        10月 上総国に行く。海路安房(アワ)の水門に行く。
        12月 東国から帰り伊勢に住む。綺宮(カニハタノミヤ)
124 景行 54 甲子    
        9月19日 伊勢から大和に帰る。
125 景行 55 乙丑    
        2月5日 彦狭島王(ヒコサシマノミコ)を東山道十五国の都督(カミ)に任じる。
          彦狭島王は穴咋邑(アナクイムラ)に至ったところで病没
          東国の人々が王が来られなかった事を悲しみ、屍を盗み出して上野国に葬る。
126 景行 56 丙寅    
        8月 御諸別王(ミモロワケノミコ)を東国に派遣
          御諸別王、東国で善政を行う
          御諸別王、蝦夷が騒ぐので討つ
127 景行 57 丁卯    
        9月 坂手池を造る
        10月 田部と屯倉を設けるよう命ず
128 景行 58 戊辰    
        2月11日 近江国の志賀後に住む。高穴穂宮(タカアナホノミヤ)
129 景行 59 己巳    
130 景行 60 庚午    
        11月7日 崩御(106歳・・143歳?)

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