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西暦年 天皇 天皇年 干支 月 日 出  来  事
200 仲哀 9 庚辰    
        2月22日 武内宿禰、穴門より帰還し皇后に報告す。
          斎宮(イワイノミヤ)を造らせる。
        3月1日 斎宮に入る。7日7夜めに啓示を受ける
          啓示の通り神を祭った後、鴨別に命じて熊襲を討たせる
        3月17日 熊襲を討つため、松狭宮(マツオノミヤ)に移る
        3月20日 層増岐野(ソソキノ)に行き、羽白熊鷲(ハシロクマワシ)を討つ。
        3月25日 山門県(ヤマトノアガタ)に行き土蜘蛛を討つ。
        4月3日 肥前国松浦県に行く。
          新羅出兵を決意
        9月10日 諸国に命じて船を集め兵の訓練をする。
          吾瓮海人烏摩呂(アヘノアマオマロ)を遣って西の海を探らせる。国はないとの報告を受ける。
          磯鹿(シカ)の海人の草を遣わして探らせた。何日買ったって還ってきて「山があり雲が横たわっているので、きっと国があるだろう」と報告をする。
        10月3日 鰐浦から出発
          新羅王が降伏し、朝貢を約束する。
          地図や戸籍を没収する
          高麗・百済も降伏し、地図や戸籍を差し出す。
        12月24日 筑紫にて応神天皇出産
201 神功 1 辛巳    
        2月 穴門の豊浦宮に移る。
          天皇の遺骸をおさめ海路より都へ進む
          麛坂王(カゴサカノミコ)・忍熊王(オシクマオウ)謀反を企てる
          播磨に偽りの陵を作る事とし兵力を集める。
          倉見別(クラミワケ)と五十狭茅宿禰(イサチノスクネ)は麛坂王に付き東国の兵をおこす。
          麛坂王・忍熊王は菟餓野(トガノ)にでて、謀反が成功するなら良い獲物が取れると神意を占って狩を行なう
          麛坂王が赤い猪に食い殺される
          忍熊王と倉見別は軍を率いて住吉に退却
          武内宿禰に命じて皇子を抱いて南海から紀伊水門へ迂回させた。皇后の船は難波へ向かう。
          船がぐるぐる回り進まない為、武庫の港に還り占う。
          天照大神が言われるに広田国に居たいと。葉山媛に祀らせる。稚日女尊(ワカヒルノミコト)が言われるには活田長峡国(イクタノナガオノクニ)に居たいと。海上五十狭茅(ウナカミノイサチ)に祀らせた。
          忍熊王は軍を率いて宇治に退き陣を構える。
          皇后が紀伊国で太子と会う
          小竹宮(シノノミヤ)に移った時、日食になる
        3月5日 武内宿禰と武振熊に命じて忍熊王を討たせる
          武内宿禰、計略を用いて忍熊王を討つ。
202 神功 2 壬午    
        11月8日 仲哀天皇を河内国の長野陵に葬る
203 神功 3 癸未    
        1月3日 立太子。誉田別皇子(ホムタワケノミコ)を皇太子とする。(皇太子4歳)
204 神功 4 甲申    
205 神功 5 乙酉    
        3月7日 新羅王が汗礼斯伐(ウレシホツ)・毛麻利叱智(モマリシチ)・富羅母智(ホラモチ)を遣わして朝貢した。
          人質の王子が偽りにより逃げる。協力した朝貢使を檻にいれて焼き殺す。
          襲津彦は新羅の草羅城(サワラノサシ)を落とす。
206 神功 6 丙戌    
207 神功 7 丁亥    
208 神功 8 戊子    
209 神功 9 己丑    
210 神功 10 庚寅    
211 神功 11 辛卯    
212 神功 12 壬辰    
213 神功 13 癸巳    
        2月8日 武内宿禰に命じて敦賀の笥飯大神(ケヒオオカミ)皇太子を参らせる。
        2月17日 敦賀から還る。皇后が太子の為に大宴会を催す
214 神功 14 甲午    
215 神功 15 乙未    
216 神功 16 丙申    
217 神功 17 丁酉    
218 神功 18 戊戌    
219 神功 19 己亥    
220 神功 20 庚子    
221 神功 21 辛丑    
222 神功 22 壬寅    
223 神功 23 癸卯    
224 神功 24 甲辰    
225 神功 25 乙巳    
226 神功 26 丙午    
227 神功 27 丁未    
228 神功 28 戊申    
229 神功 29 己酉    
230 神功 30 庚戌    
231 神功 31 辛亥    
232 神功 32 壬子    
233 神功 33 癸丑    
234 神功 34 甲寅    
235 神功 35 乙卯    
236 神功 36 丙辰    
237 神功 37 丁巳    
238 神功 38 戊午    
239 神功 39 己未    
          魏志倭人伝に倭の女王が魏に大夫難斗米らを魏に遣わすと記載あり
240 神功 40 庚申    
          正始元年魏が詔書や印綬を持たせて向かわせる
241 神功 41 辛酉    
242 神功 42 壬戌    
243 神功 43 癸亥    
          倭王が魏に使いを送る
244 神功 44 甲子    
        7月 百済王の使者が卓淳(トクジュン)の王に倭への道を尋ねる。倭の使いが来たら知らせて欲しいと言い国へ還る
245 神功 45 乙丑    
246 神功 46 丙寅    
        3月1日 斯麻宿禰(シマノスクネ)を卓淳国に遣わす。
          卓淳国で百済の使者の話を聞き、百済へ使いを送る
247 神功 47 丁卯    
        4月 百済王が倭へ朝貢する。新羅の朝貢使もいっしょに来る
          新羅が百済の貢物を横取りしたのが判明、問責の使いをおくる。
248 神功 48 戊辰    
249 神功 49 己巳    
        3月 荒田別と鹿我別(カガワケ)を将軍とし新羅を責めさせる。
          比自(ヒシ)ホ・
250 神功 50 庚午    
        2月 荒田別らが還る
        5月 久氐ら還る
251 神功 51 辛未    
        3月 百済王が久氐を遣わす
          千熊長彦を百済に遣わす
252 神功 52 壬申    
        9月10日 久氐らが千熊長彦にしたがって来る。七枝刀・七子鏡を持ってくる。
253 神功 53 癸酉    
254 神功 54 甲戌    
255 神功 55 乙亥    
          百済の肖古王が亡くなる。
256 神功 56 丙子    
          皇子の貴須が百済王となる。
257 神功 57 丁丑    
258 神功 58 戊寅    
259 神功 59 己卯    
260 神功 60 庚辰    
261 神功 61 辛巳    
262 神功 62 壬午    
          新羅が朝貢せず。襲津彦に新羅を討たせる。
263 神功 63 癸未    
264 神功  64 甲申    
          百済の貴須王が亡くなる。王子の枕流王が王となる。
265 神功 65 乙酉    
          百済の枕流王が亡くなる。叔父の振斯が王位を奪う。
266 神功 66 丙戌    
          晋の武帝2年10月に倭の女王が遣いをおくる
267 神功 67 丁亥    
268 神功 68 戊子    
269 神功 69 己丑    
        4月17日 崩御(100歳)
        10月15日 狭城盾列陵(サキノタタナミノミササギ)に葬る

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