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 応神天皇

西暦年 天皇 天皇年 干支 月 日 出  来  事
270 応神 1 庚寅    
        1月1日 即位(70歳)
271 応神 2 辛卯    
        3月3日 仲姫(ナカツヒメ)を皇后とする。
272 応神 3 壬辰    
        10月3日 東の蝦夷が朝貢して来た。その蝦夷を使って厩坂道(ウマヤサカミチ)を作らせる。
        11月 各地の漁民が騒ぐ。大浜宿禰を遣わして静める
          振斯王が礼に失した事を行なったので、紀角宿禰(キノツノスクネ)・羽田矢代宿禰(ハタノヤシロノスクネ)・石川宿禰(イシカワノスクネ)・木菟宿禰(ツクノスクネ)を遣わして責めさせた。百済は振斯王を殺して陳謝した。紀角は阿花(アクエ)を王として還った。
273 応神 4 癸巳    
274 応神 5 甲午    
        8月13日 諸国に令して、海人部・山守部を定めた。
        10月 伊豆国に命じて舟を作らせる。長さ十丈の船が出来る。
275 応神 6 乙未    
        2月 近江国へ御幸
276 応神 7 丙申    
        9月 高麗人・百済人・任那人・新羅人が来朝。武内宿禰に命じて彼らに池を作らせる。(韓人池(カラヒトノイケ))
277 応神 8 丁酉    
        3月 百済人が来朝
278 応神 9 戊戌    
        4月 武内宿禰、讒言される。武内宿禰に似ている真根子が進んで身代わりになって自殺して時間稼ぎを行なった間に朝廷に還り、弁明する。探湯(クガタチ)により無罪が判明。
279 応神 10 己亥    
280 応神 11 庚子    
        10月 剣池・軽池・鹿垣池(かのかきのいけ)・厩坂池(ウマヤサカノイケ)を造った。
281 応神 12 辛丑    
282 応神 13 壬寅    
        3月 専使(タクノツカイ)を遣わして髪長姫を召す。
        9月中旬 髪長姫が日向から到着。摂津国桑津邑(せっつのくにくわつむら)におかれる。
          大鷦鷯尊(オオサザキノミコト)がみそめる。それを知った天皇が娶せようとして、宴会を開く。
283 応神 14 癸卯    
        2月 百済王が縫衣工女(キヌヌイオミナ)を奉った。
          弓月君が百済からやってきて、新羅に邪魔をされて人民を連れて来れないと訴えた。葛城襲津彦(カツラギノソツヒコ)を派遣し、加羅国へ呼ばれた。
284 応神 15 甲辰    
        8月6日 百済王は阿直岐(アラキ)を遣わして、良馬二匹を奉った。
          阿直岐は経書を読んだので。太子菟道稚郎子(ウジノワキイラツコ)の学問の師とする。
          阿直岐は天皇に優れた学者が居るかと聞かれ王仁(ワニ)が居ると答えたので。天皇は荒田別・巫別(カムナギワケ)を百済に遣わして召す。
285 応神 16 乙巳    
        2月 王仁が到着
          百済王死去。直支王に帰国して王位につけと語る。東韓の地を賜る。
        8月 平群木菟宿禰(ヘグリノツクノスクネ)・的戸田宿禰(イクハノトダノスクネ)を加羅に使わす。制兵を従えて新羅国境に行き襲津彦と弓月の民を率いて還る
286 応神 17 丙午    
287 応神 18 丁未    
288 応神 19 戊申    
        10月1日 吉野宮に御幸。
289 応神 20 己酉    
        9月 阿知使主(アチノオミ)がその子の都加遣主(ツカノオミ)と17県のともがらを率いてきた。
290 応神 21 庚戌    
291 応神 22 辛亥    
        3月5日 難波に御幸。大隈宮
        3月14日 高台に上ったとき兄媛(エヒメ)が嘆く。理由を聞くと「親を訪ねたい」と言ったので実家に行く事を許す。
        4月 兄媛が難波の大津から船出。
        9月6日 淡路島に狩をする。
          吉備に行く
        9月10日 葉田の葦守宮にすむ
292 応神 23 壬子    
293 応神 24 癸丑    
294 応神 25 甲寅    
          百済の直支王死ぬ。久爾辛が王となる。幼い為、木満至が国政を執る。王の母と通じ無礼多し。
295 応神 26 乙卯    
296 応神 27 丙辰    
297 応神 28 丁巳    
        9月 高麗の王が遣いを送って朝貢す。太子がその表を読んで怒り使いを責め、表を破り捨てる。
298 応神 29 戊午    
299 応神 30 己未    
300 応神 31 庚申    
        8月 旧船の材を取りまきを作る。そのまきを燃やし塩を作る。塩が500籠作れた。その塩を諸国に施し諸国から500隻の船が謙譲され、武庫の港に集められた。
          武庫に滞在していた新羅の調の使らの宿から失火し、多数の船が焼けたので、新羅の人を責めた。新羅王はこれを聞き工匠を奉った。
301 応神 32 辛酉    
302 応神 33 壬戌    
303 応神 34 癸亥    
304 応神 35 甲子    
305 応神 36 乙丑    
306 応神 37 丙寅    
        2月1日 阿知使主・都加使主を呉に使わして縫工女を求めさせる。
          呉への道が分からないので高麗の国で道案内を求めた。高麗王は久礼波・久礼志を道案内につける。そのお陰で呉につける
          呉の王は縫女の兄媛・弟媛・呉織・穴織の4人を与えた。
307 応神 38 丁卯    
308 応神 39 戊辰    
        2月 百済の直支王は妹の新斉都媛(シセツヒメ)を使わして使えさせた。このとき七人の女を連れてきた。
309 応神 40 己巳    
        1月8日 大山守命(オオヤマモリノミコト)と大鷦鷯尊に質問し二人の心の内を探る。
        1月24日 立太子。菟道稚郎子を皇太子とする。大山守命に山川林野を司る役目を与える。大鷦鷯尊に太子の補佐をされる。
310 応神 41 庚午    
        2月15日 崩御(110歳)

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