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 仁徳天皇

西暦年 天皇 天皇年 干支 月 日 出  来  事
311     辛未    
312     壬申    
          菟道稚朗子が自殺
313 仁徳 1 癸酉    
        1月3日 即位
314 仁徳 2 甲戌    
        3月8日 磐之姫命(イワノヒメノミコト)を皇后とす
315 仁徳 3 乙亥    
316 仁徳 4 丙子    
        2月6日 人家の煙が見えないことを嘆く
        3月21日 3年間課税を止める事を詔
317 仁徳 5 丁丑    
318 仁徳 6 戊寅    
319 仁徳 7 己卯    
        4月1日 税をやめた効果現れるが、皇后不満を言う。
        8月9日 大兄去来穂別皇子(オオエノイザホワケノミコ)の為に壬生部を定め、皇后の為に葛城部を定める。
        9月 税を納め宮室を修理したいと奏ずるものがあるが認めず。
320 仁徳 8 庚辰    
321 仁徳 9 辛巳    
322 仁徳 10 壬午    
        10月 課役を命じ宮室を修理す
323 仁徳 11 癸未    
        4月17日 治水の詔を出す。
        10月 堀江と堤防を築く
          新羅からの朝貢あり、治水工事に使う。
324 仁徳 12 甲申    
        7月3日 高麗国が鉄の盾・鉄の的を奉った。
        8月10日 高麗の客を朝廷でもてなす。
        10月 山城の栗隈県(クルクマノアガタ)に大溝を彫って田に水を引く
325 仁徳 13 乙酉    
        9月 茨田屯倉(マンダノミヤケ)を立てる。春米部(ツキシネベ)を定める。
        10月 和珥池(ワニノイケ)を造る。横野堤(ヨコノノツツミ)を造る。
326 仁徳 14 丙戌    
        11月 猪飼津(イカイノツ)に橋を渡す。
          大通りを都の中に造る。南の門より真直ぐ丹比邑(タジヒノムラ)に及ぶ。
          大溝を感玖(コムク)に堀、石川の水を引き上鈴鹿・下鈴鹿・上豊浦・下豊浦など四ヶ所の原を潤し、四万頃あまりの田が得られた。
327 仁徳 15 丁亥    
328 仁徳 16 戊子    
        7月1日 女官の桑田玖賀嬪(クワタノクガヒメ)を見せて面倒を見てくれる者を募る。播磨の速待が名乗り出る
          播磨の速待が玖賀嬪の家にいくも拒否される。
          天皇が命じられ速待に付き添わせて桑田に送るも、途中で発病し死ぬ。
329 仁徳 17 己丑    
          新羅が朝貢せず
        9月 砥田宿禰(トダノスクネ)と賢遺臣(サカノコリノオミ)を遣わして問責する。
330 仁徳 18 庚寅    
331 仁徳 19 辛卯    
332 仁徳 20 壬辰    
333 仁徳 21 癸巳    
334 仁徳 22 甲午    
        1月 八田皇女(ヤタノヒメミコ)を召しいれたいとの要望に皇后が反対する。
335 仁徳 23 乙未    
336 仁徳 24 丙申    
337 仁徳 25 丁酉    
338 仁徳 26 戊戌    
339 仁徳 27 己亥    
340 仁徳 28 庚子    
341 仁徳 29 辛丑    
342 仁徳 30 壬寅    
        9月11日 皇后が紀国に行く。その隙に八田皇女を召しいれる。それを知った皇后は泊まらずに引き返す。
          皇后は宮に帰らず、筒城岡(ツツキノオカ)の南に宮室を造って住まう。
        10月1日 口持臣(クチモチノオミ)を遣わして皇后を呼ぶが、こなかった。
        11月7日 天皇が山城に行く。
        11月8日 筒城宮に着くが皇后会わず。天皇は都へ引き上げる。
343 仁徳 31 癸卯    
        1月15日 立太子。大兄去来穂別皇子を皇太子とす。(皇太子15歳)
344 仁徳 32 甲辰    
345 仁徳 33 乙巳    
346 仁徳 34 丙午    
347 仁徳 35 丁未    
        6月 皇后死去
348 仁徳 36 戊申    
349 仁徳 37 己酉    
        11月12日 皇后を奈良山に葬る。
350 仁徳 38 庚戌    
        1月6日 八田皇女を皇后とする。
        7月 佐伯部を鹿の件で安芸の渟田」に移す。
351 仁徳 39 辛亥    
352 仁徳 40 壬子    
        2月 雌鳥皇女(メトリノヒメミコ)を召そうと、隼別皇子(ハヤブサワケノミコ)を仲立ちにするも、隼別皇子が奪ってしまう。
          隼別皇子が増長したため、殺すことを決意する。
          吉備品遅部雄鮒(キビノホムチベノオフナ)・播磨佐伯値阿餓能胡(ハリマノサエキノアタイアガノコ)を遣わして「捕まえたところで殺せ」といわれた。
          蒋代野(コモシロノ)で追いつき殺す。このとき皇后の支持にそむき皇女の玉を奪う。
          宴会のときにその玉をつけているのが見つかり、播磨佐伯値阿餓能胡は死罪の代わりに土地を差し出し許される。
353 仁徳 41 癸丑    
        3月 紀角宿禰(キノツノノスクネ)を百済に遣わして、始めて国郡の境の分け方や、それぞれの郷土の産物を記録する。
          このとき百済王族の酒君(サケノキミ)が無礼であったので百済王を責めた。
          百済王は酒君を鉄の鎖で縛り、襲津彦に従わせて進上した。
          酒君は石川錦織首許呂斯(イシカワノニシコリノオビトコロシ)の家に逃げ隠れ、偽って「すでに許された」という。天皇は久しくしてから罪を許される。
354 仁徳 42 甲寅    
355 仁徳 43 乙卯    
        9月1日 依網(ヨサミ)の屯倉の阿珥古(アビコ)が鷹を捕まえる。
          鷹飼部(タカカイベ)を定める。
356 仁徳 44 丙辰    
357 仁徳 45 丁巳    
358 仁徳 46 戊午    
359 仁徳 47 己未    
360 仁徳 48 庚申    
361 仁徳 49 辛酉    
362 仁徳 50 壬戌    
        3月5日 茨田の堤に雁が子を産む
363 仁徳 51 癸亥    
364 仁徳 52 甲子    
365 仁徳 53 乙丑    
          新羅が朝貢せず
        5月 竹葉瀬(タカハセ)を遣わして貢物を奉らないことを責める
          しばらくして、田道を遣わして、新羅が妨げれば討てと命じられる。
          新羅は兵を起こして防ぐが敗れる。四つの邑の人民を連れ帰る
366 仁徳 54 丙寅    
367 仁徳 55 丁卯    
          蝦夷がそむく。田道破れて死ぬ。
          その後、再び蝦夷が襲い、田道の墓を掘った。墓から出てきた大蛇の毒気にやられて、多くの蝦夷が死んだ
368 仁徳 56 戊辰    
369 仁徳 57 己巳    
370 仁徳 58 庚午    
        5月 荒陵(アラハカ)の松林の南の道に俄に二本のクヌギが生え道を挟んで一本になった。
        10月 呉国と高麗国が朝貢する
371 仁徳 59 辛未    
372 仁徳 60 壬申    
        10月 日本部尊の白鳥陵の陵守(ミササギモリ)を徭役に当てる。
          不思議が起こったので徭役を中止した。
373 仁徳 61 癸酉    
374 仁徳 62 甲戌    
        5月 大井川に流れ出た大木を使って船を造る。
          額田大中彦皇子が氷室を見つけその中の氷を天皇に献上する。
375 仁徳 63 乙亥    
376 仁徳 64 丙子    
377 仁徳 65 丁丑    
          飛騨の国の宿儺が皇命に従わず暴虐を行ったので、難波根子武振熊(ナニワノネコタケフルクマ)を遣わして討つ
378 仁徳 66 戊寅    
379 仁徳 67 己卯    
        10月15日 河内の石津原に行き陵地を定める
        10月18日 陵を築く。
380 仁徳 68 庚辰    
381 仁徳 69 辛巳    
382 仁徳 70 壬午    
383 仁徳 71 癸未    
384 仁徳 72 甲申    
385 仁徳 73 乙酉    
386 仁徳 74 丙戌    
387 仁徳 75 丁亥    
388 仁徳 76 戊子    
389 仁徳 77 己丑    
390 仁徳 78 庚寅    
391 仁徳 79 辛卯    
392 仁徳 80 壬辰    
393 仁徳 81 癸巳    
394 仁徳 82 甲午    
395 仁徳 83 乙未    
396 仁徳 84 丙申    
397 仁徳 85 丁酉    
398 仁徳 86 戊戌    
399 仁徳 87 己亥    
        1月16日 崩御
        10月7日 百舌鳥野陵(モズトリノミササギ)に葬る。
          仲皇子の謀反

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