トップページ]>[歴史のページ]>[記紀年表12]

  履中天皇 反正天皇 允恭天皇

西暦年 天皇 天皇年 干支 月 日 出  来  事
400 履中 1 庚子    
        2月1日 即位(72歳)
        4月17日 阿雲連浜子を謀反に加担したかどで目の縁に刺青を入れる刑罰を科す。
401 履中 2 辛丑    
        1月4日 立太子。瑞穂別皇子を皇太子とする。
        10月 磐余に都を造る。平郡木菟宿禰(ヘグリノツクノスクネ)・蘇賀満智宿禰(ソガノマンチノスクネ)・物部伊莒弗大連(モノノベノイコフノオオムラジ)・円大使主(ツブラノオオミ)は共同して国政に携わる。
        11月 磐余の池を作る
402 履中 3 壬寅    
        11月6日 季節外れの桜が盃に散ってきたので磐余若桜宮に変名する。
403 履中 4 癸卯    
        8月8日 始めて諸国に国史(フミヒト)を置く。事を記し諸国の情報を報告するため。
        10月 石上の用水路を掘る
404 履中 5 甲辰    
        3月1日 筑紫の三柱神が宮中に現れ「なぜ民を奪うのか、恥を与える」と言われたが、祈祷だけ行い祀らなかった。
        9月18日 狩をした時、飼部(ウマカイベ)の刺青の傷が治らなかったので、「血のにおいに耐えられない」とイザナギの神が告げられる。それ以降飼部の刺青をやめる
        9月19日 「剣刀太子王(ツルギタチヒツギノミコ)」が大空で叫ばれた。急使が来て「皇妃がお隠れになった」と告げる。
        9月22日 淡路より帰り着く
        10月11日 后が亡くなった咎の元を探すと、車持君(クルマモチノキミ)が車持部を奪い充神民(カムベラノタミ)を奪った事が分かる。
          車持君から取り上げ改めて三柱神に奉り、車持君には悪解除(アシハラエ)・善解除(ヨシハラエ)を負わせた。
405 履中 6 乙巳    
        1月6日 草香幡梭皇女(クサカノハタヒノヒメミコ)を皇后とする。
        1月29日 蔵司を立てる。蔵部を定める。
        2月1日 鮒魚磯別王(フナシワケオオキミ)の娘の太姫郎姫(フトヒメノイラツメ)・高鶴郎姫(タカツルノイラツメ)を召して後宮へ入れ嬪(ミメ)とする。
          二人の兄の鷲住王(ワシスミノオオキミ)を召そうとするが2度使いを出してもこなかった。
        3月15日 発病し崩御
        10月4日 百舌鳥耳原陵(モズノミハラノミササギ)に葬る
406 反正 1 丙午    
        1月2日 即位
        8月6日 津野媛(ツノヒメ)を皇后とする
        10月 河内の丹比(タジヒ)に都を造る。(柴籬宮(シバカキノミヤ))
407 反正 2 丁未    
408 反正 3 戊申    
409 反正 4 己酉    
410 反正 5 庚戌    
        1月23日 崩御
          允恭天皇即位を要請されるも固辞
411     辛亥    
412 允恭 1 壬子    
        12月 押坂大中姫命(オシサカオオナカツヒメノミコト)に説得され即位
413 允恭 2 癸丑    
        2月14日 押坂大中姫命を皇后とする。刑部(オシサカベ)を定める。
414 允恭 3 甲寅    
        1月1日 新羅に医者を求める
        8月 新羅から医者が到着。治療に当たる。
          いくばくもせぬうちに病が治り、医者に厚く礼を行い国へ返す。
415 允恭 4 乙卯    
        9月9日 氏・姓を正す詔を出す。正す為に盟神探湯(クガタチ)をおこなう。
416 允恭 5 丙辰    
        7月14日 地震あり。尾張連吾襲(オワリノムラジアソ)に命じて殯宮を確認させる。玉田宿禰(タマタノスクネ)は殯(モガリ)の人であるにも拘らず、殯宮に居なかった。吾襲を葛城に向かわして調べさせると、酒宴を行っていた。玉田宿禰は吾襲に賂をしたが、帰途を待ち受けて吾襲をころした。
          玉田宿禰を召す。鎧を頃もの内に来て参内した。宿禰は家に逃げ帰ったが、天皇は兵を遣わして討つ。
        10月 反正天皇を耳原陵に葬る。
417 允恭 6 丁巳    
        12月1日 新築の祝い有り。天皇を弟姫見初める。
          弟姫は皇后の嫉妬を恐れて固辞する。
          藤原に殿舎を建て弟姫を住まわす。
          雄略天皇誕生か?
418 允恭 7 戊午    
419 允恭 8 己未    
        2月 弟姫の希望で茅渟に宮室を造る。
420 允恭 9 庚申    
        2月 茅渟に行く
        8月 茅渟に行く
        10月 茅渟に行く
421 允恭 10 辛酉    
        1月 茅渟に行く。皇后が「百勝の迷惑になる」ので度々行くなと言う。それ以降まれに行くようになる。
422 允恭 11 壬戌    
        3月4日 茅渟に行く。
423 允恭 12 癸亥    
424 允恭 13 甲子    
425 允恭 14 乙丑    
        9月12日 淡路に行く。狩をするが、獲物が居るのに一匹も取れず。占うと、明石の底に有る大真珠を備えれば取れるようになると出た。
          男狭磯(オサシ)が潜って大あわびを取って海面に上がったところで息絶えて死ぬ。あわびの中に桃の実ほどの真珠が有り、それを供えると獲物が取れるようになった。
426 允恭 15 丙寅    
427 允恭 16 丁卯    
428 允恭 17 戊辰    
429 允恭 18 己巳    
430 允恭 19 庚午    
431 允恭 20 辛未    
432 允恭 21 壬申    
433 允恭 22 癸酉    
434 允恭 23 甲戌    
        3月7日 立太子。木梨軽皇子(キナシカルノミコ)を皇太子とする。
          妹に恋をする。
435 允恭 24 乙亥    
        6月 大娘皇女(オオイラツメノミコ)を伊予に移す
436 允恭 25 丙子    
437 允恭 26 丁丑    
438 允恭 27 戊寅    
439 允恭 28 己卯    
440 允恭 29 庚辰    
441 允恭 30 辛巳    
442 允恭 31 壬午    
443 允恭 32 癸未    
444 允恭 33 甲申    
445 允恭 34 乙酉    
446 允恭 35 丙戌    
447 允恭 36 丁亥    
448 允恭 37 戊子    
449 允恭 38 己丑    
450 允恭 39 庚寅    
451 允恭 40 辛卯    
452 允恭 41 壬辰    
453 允恭 42 癸巳    
        1月14日 崩御(78歳)
          新羅の王、弔使を送る
        11月 新羅の弔使に釆女に通じた疑いがかかるが、疑いが晴れて許される。しかし、新羅は恨みに思い以後の貢物を減らす。
        10月10日 河内の長野原陵(ナガノハラノミササギ)に葬る。

トップへ戻る


トップページ]>[歴史のページ]>[記紀年表12]