記紀年表(暫定)
神武天皇 綏靖・安寧・懿徳天皇 孝昭 ・孝安天皇 孝霊・孝元天皇 開化 ・崇神天皇 垂仁天皇 景行天皇| 西暦年 | 天皇 | 天皇年 | 干支 | 月 日 | 出 来 事 |
| 穴穂皇子に人々が付いたので、軽太子は皇子をころそうとしたが、人々が従わなかったので物部大前宿禰(モノノベノオオマエノスクネ)の家で自殺する。 | |||||
| 12月14日 | 即位 | ||||
| 都を大和石上に移す。(穴穂宮) | |||||
| 454 | 安康 | 1 | 甲午 | ||
| 2月1日 | 大泊瀬皇子の為に幡梭皇女(ハタヒノヒメミコ)を娶わせようと根使主(ネノオミ)を遣わして大草香皇子に頼まれる。 | ||||
| 大草香皇子は了解されるが、根使主は家宝の押木珠縵(オシキノタマカズラ)を見て欲しくなりウソの報告をする。 | |||||
| 天皇はウソの報告を信じて大草香皇子を殺す。 | |||||
| 大草香皇子の妻、中蒂姫(ナカシヒメ)を召して宮中に入れる。幡梭皇女は大泊瀬皇子に娶わせる。 | |||||
| 455 | 安康 | 2 | 乙未 | ||
| 1月17日 | 中蒂姫を皇后とする。 | ||||
| 456 | 安康 | 3 | 丙申 | ||
| 8月9日 | 天皇、眉輪王(マヨワノオオキミ)に殺される。 | ||||
| 八釣白彦皇子(ヤツリシロヒコノミコ)申し開きを出来なかったので大泊瀬皇子に殺される。 | |||||
| 坂合黒彦皇子(サカアイクロヒコノミコ)と眉輪王は円大臣の家に逃げ込む | |||||
| 坂合黒彦皇子、眉輪王、円大臣が討ち滅ぼされる | |||||
| 10月1日 | 市辺押磐皇子(イチノベノオシワノミコ)を謀殺し様と狩にさそう | ||||
| 狩で市辺押磐皇子を殺害する。 | |||||
| 御馬皇子(ミマノミコ)が殺害される。 | |||||
| 11月13日 | 即位。平群臣真鳥(ヘグリノオミマトリ)を大臣に大伴連室屋(オオトモノムラジムロヤ)・物部連目(モノノベノムラジメ)を大連にする。 | ||||
| 457 | 雄略 | 1 | 丁酉 | ||
| 3月3日 | 草香幡梭姫皇女を皇后とする。 | ||||
| 458 | 雄略 | 2 | 戊戌 | ||
| 7月 | 百済の池津媛(イケツヒメ)が石川盾(イシカワノタテ)と通じたので焼き殺す | ||||
| 10月3日 | 吉野宮に御幸。 | ||||
| 10月6日 | 御馬瀬に行く。群臣が質問に答えられなかったので、大津馬飼を切る。宮へ帰る | ||||
| 10月 | 宍人部(シシトベ)を設ける | ||||
| 10月 | 史戸(フヒトベ)・河上舎人部(カワカミトネリベ)を設ける | ||||
| 大変悪い王であると人々がそしる | |||||
| 459 | 雄略 | 3 | 己亥 | ||
| 4月 | 阿閉臣国見(アヘノオミクニミ)が栲幡皇女(タクハタノヒメミコ)と廬城部連武彦(イオキベノムラジタケヒコ)を讒言する。武彦の父の枳莒喩(キコユ)は禍が及ぶのを恐れて武彦を殺す。皇女は自害する。疑いの晴れたが枳莒喩は武彦を殺した事を悔いて国見を殺そうとしたが国見は石上神宮に逃げ隠れた。 | ||||
| 460 | 雄略 | 4 | 庚子 | ||
| 2月 | 葛城山で一事主と出会う。 | ||||
| 8月18日 | 吉野宮に行く | ||||
| 8月20日 | 川上の小野で狩をする。この時虻に刺されたが、その虻を蜻蛉が捕らえて去ったので、蜻蛉野(アキツノ)と命名する。 | ||||
| 461 | 雄略 | 5 | 辛丑 | ||
| 2月 | 葛城山で狩をする。この時、急に飛び出してきたシシに恐れをなして、付き人たちは木に登る。天皇が矢を撃つように指示したが、度を失った舎人は矢を撃つことが出来ず天皇が矢を撃ちシシを殺す。天皇は舎人を殺そうとしたが、皇后に諌められて殺すことを止める。 | ||||
| 4月 | 百済の加須利君(カスリノキミ)が池津姫が焼きころされた事を聞き、女を奉るのを禁止し弟の軍君(コニシキ)に「日本へ行って遣えよ」と命令する。 | ||||
| 軍君は君の婦を賜りたいと告げる | |||||
| 君は孕んだ女を軍君に与え出産したら子供と友に送り返すように命ずる。 | |||||
| 6月1日 | 筑紫の加羅島(カカラノシマ)で出産。軍君は母子共に送り返す。後の武寧王の誕生である。 | ||||
| 7月 | 軍君は京に入る | ||||
| 462 | 雄略 | 6 | 壬寅 | ||
| 2月4日 | 泊瀬の小野で遊ぶ。その美しさを愛で道小野(ミチノオノ)と命名する。 | ||||
| 3月7日 | 后・妃に桑の葉を摘ませて養蚕を勧めようとする為にスガルに命じて蚕を集めさせた。 | ||||
| スガルは勘違いをして嬰児を集めたので天皇は「お前が養え」と命じた。そのため少子部連(チイサコベノムラジ)と言われる。 | |||||
| 463 | 雄略 | 7 | 癸卯 | ||
| 7月3日 | 少子部連スガルに三輪山の神を捉えてこいと命じる | ||||
| 大きな蛇を捕らえてきて天皇に見せる。しかし、天皇は斎戒沐浴していなかったので大蛇は雷のような音をさせて怒った。天皇は恐れて大蛇を丘に放たれた。その丘を雷とした。 | |||||
| 8月 | 吉備弓削部虚空(キビノユゲベノオオゾラ)が帰省する。 | ||||
| 吉備下道臣前津屋(キビノシモツミチノオミサキツヤ)は虚空を自分の下へ何ヶ月も留めて使い京へ戻らせなかった。 | |||||
| 天皇は身毛君大夫(ムゲノキミマスラオ)を遣わして呼び戻す。 | |||||
| 虚空が吉備下道臣前津屋の謀反を告発。物部を遣わして前津屋および一族70人を殺す。 | |||||
| 吉備上道臣田狭(キビノカミツミチノオミタサ)の妻が美人であると聞いて召し入れようとする。 | |||||
| 田狭を任那の国司に任命し田狭の不在の間に稚媛を召し入れる。この事を知った田狭は新羅に援助を求めようとするが、日本と不和であったので果たせず。 | |||||
| 田狭臣の子の弟君と吉備海部直赤尾(キビノアマノアタイアカオ)に新羅をうつよう詔す。 | |||||
| 西漢才伎歓因知利(カワチノアヤノテヒトカンインチリ)が韓国に多くの適任者がいるので召して使うと良いと言う | |||||
| 弟君に歓因知利を同行して百済で人を集めよと指示 | |||||
| 弟君は百済に行くも新羅を討たず帰る。百済が奉った才伎を大島に集めて風待を理由に月を重ねる。 | |||||
| 田狭臣は弟君に離反を唆すが、弟君の夫人がそれを知り弟君を殺害する。 | |||||
| 百済で集めた才伎を倭の阿都の広津邑に住まわせる。しかし、病で死ぬものが多かったので、東漢値掬に命じて住む場所を移動させた。 | |||||
| 464 | 雄略 | 8 | 甲辰 | ||
| 2月 | 身狭村主青(ムサノスグリアオ)・桧熊民使博徳(ヒクマノタミノツカイハカトコ)を呉国に遣わす。 | ||||
| 新羅王は高麗に防衛協力を依頼するが、高麗はその依頼に乗じて新羅を滅ぼそうとする。 | |||||
| その企てを知った新羅王は任那王に援助を依頼する。 | |||||
| 任那王は膳臣斑鳩(カシワデノオミイカルガ)・吉備臣小梨(キビノオミオナシ)・難波吉士赤目子(ナニワノキシアカメコ)を派遣。 | |||||
| 策を用いて高麗を破る。 | |||||
| 465 | 雄略 | 9 | 乙巳 | ||
| 2月1日 | 凡河内値香賜(オオシコウチノアタイカタブ)と釆女を遣わして宗像の神を祭る。しかし、香賜が釆女を犯したので難波日鷹吉士(ナニワノヒタカノキシ)を遣わして香賜を殺す事を命ず。 | ||||
| 香賜が逃げたので弓削連豊穂(ユゲノムラジトヨホ)を遣わして追わせる。三島郡藍原(ミシマノコオリアイハラ)にて捕らえ殺す。 | |||||
| 3月 | 天皇自ら新羅を討つことを決意。神が言ってはいけないと言われたので、紀小弓宿禰(キノオユミノスクネ)・蘇我韓子宿禰(ソガノカラコノスクネ)・大伴談連(オオトモノカタリノムラジ)・小鹿火宿禰(オカヒノスクネ)を派遣する。 | ||||
| 新羅王は夜、皇軍が四面を囲んだので総て占領されたと思い数百の兵と脱出。 | |||||
| 残兵との戦闘の末、大伴談連・紀岡前来目連(キノオカザキノクメノムラジ)は戦死、紀小弓宿禰は戦病死した。 | |||||
| 5月 | 紀大磐宿禰(キノオオイワノスクネ)は父が死んだ事を聞き新羅に行き、小鹿火宿禰の権限を奪って自分勝手に振舞う。これに恨み追い抱いた小鹿火宿禰は韓子宿禰と大磐宿禰の離間をさそう。 | ||||
| 韓子宿禰と大磐宿禰の負仲を聞いた百済王が乗じて乱す。 | |||||
| 466 | 雄略 | 10 | 丙午 | ||
| 9月4日 | 身狭村主青が呉の奉った2羽のガチョウを持って筑紫に行く。このガチョウが水間君(ミズマノキミ)の犬に食われたため、水間君は鴻10羽と養鳥人を奉った。 | ||||
| 10月7日 | 水間君が奉った養鳥人らを軽村・磐余村の二ヶ所に住まわせた。 | ||||
| 467 | 雄略 | 11 | 丁未 | ||
| 5月1日 | 近江国栗田郡から「白い鵜が田上の浜にいる」と報告が有り、川瀬に舎人を置く | ||||
| 7月 | 百済国から貴信と言うものが逃げてきた。磐余の琴弾の坂手屋形麻呂(サカテノヤカタマロ)はその子孫。 | ||||
| 10月 | 鳥官の鳥が宇陀の人の犬に食われた。入墨をして鳥養部にした。それをそしって、鳥を積む事が出来ると言った者に「鳥を積んでみよ」と命じたが積む事が出来なかったので鳥養部とした。 | ||||
| 468 | 雄略 | 12 | 戊申 | ||
| 4月4日 | 身狭村主青・桧熊民使博徳を呉国に遣わす。 | ||||
| 10月10日 | 木匠の闘鶏御田(ツゲノミタ)に楼閣を造るよう命じた。 | ||||
| 楼閣上を飛ぶように作業していた御田を見て、釆女が倒れた。御田が釆女を犯したと思い刑吏に引き渡す。 | |||||
| 秦酒公(ハタノサケノキミ)が琴の歌により誤りを指摘する。理解した天皇は御田の罪を許された。 | |||||
| 469 | 雄略 | 13 | 己酉 | ||
| 3月 | 狭穂彦の玄孫の歯田根命(ハタネノミコト)が、ひそかに釆女山辺小島子(ヤマベノコシマコ)を犯す。 | ||||
| 歯田根命を物部目大連(モノノベノメノオオムラジ)に預けて責めさせた。歯田根命は馬八匹・大刀八本で罪科を購うが、不遜な歌を歌う。 | |||||
| 反省していないのを知った天皇は歯田根命の資材を餌香市(エカノイチ)の橋の木の本にむき出しで置かせ、餌香の長野邑を物部目大連に賜る。 | |||||
| 8月 | 播磨国の御井隈(ミイクマ)の文石小麻呂(アヤシノオマロ)が暴虐であったので、春日小野臣大樹(カスガノオノノオミオオキ)を遣わして討つ | ||||
| 9月 | 猪名部真根が石を代にして斧で材を削り終日削っても刃に傷を付けなかったのを怪しみ策を用いて試した。 | ||||
| 刃を傷つけてしまったので責めて処刑しようとしたが、匠の同僚の風諫により取りやめる。 | |||||
| 470 | 雄略 | 14 | 庚戌 | ||
| 1月13日 | 身狭村主青らは呉国の使いとともに呉の奉った者たちと住江の津に止まる。 | ||||
| 呉の来朝者の為に道を造り磯果(シハツ)の道に通じさせた。呉坂(クレサカ)と名づける。 | |||||
| 3月 | 臣連に呉の使いを迎えさせ、桧隈野に住まわせる。呉原と名づける | ||||
| 衣縫(キヌヌイ)の兄媛を大三輪神社に奉った。弟媛を漢(アヤ)の衣縫部(キヌヌイベ)とした。漢織(アヤハトリ)・呉織(クレハトリ)の衣縫は飛鳥衣縫部・伊勢衣縫の先祖 | |||||
| 4月1日 | 根使主(ネノオミ)の科が発覚し、根使主を討つ。 | ||||
| 根使主の子孫を二つに分け、一つを大草香部の部民として皇后に、もう一つ茅渟の県主に賜って袋担ぎとする。 | |||||
| 難波吉士日香香の子孫を探させ姓を賜り、大草香部吉士とした。 | |||||
| 小根使主が「父の造った城は堅固だ」と語ったのを聞いた天皇は調査後、小根使主を殺した。 | |||||
| 471 | 雄略 | 15 | 辛亥 | ||
| 秦氏にうつまさの姓を給う。 | |||||
| 472 | 雄略 | 16 | 壬子 | ||
| 7月 | 桑の栽培に適した国・県を選んで桑を植えさせる。秦の民をそこに移住させ、庸調が上がるようにした。 | ||||
| 10月 | 漢氏の部民を集めて、その管理者を決める。姓は値を賜る。 | ||||
| 473 | 雄略 | 17 | 癸丑 | ||
| 3月2日 | 膳部で用いる器を進上するよう土師連に命じる | ||||
| 摂津国の久佐々村、山背国の内村・伏見村、伊勢国の藤方村、丹波・但馬・因幡の私有の部曲を奉る。 | |||||
| 474 | 雄略 | 18 | 甲寅 | ||
| 8月10日 | 物部菟代宿禰(モノノベノウシロノスクネ)・物部目連を遣わして朝日郎(アサヒノイラツコ)を討たす。 | ||||
| 物部菟代宿禰が失策を犯したので、物部菟代宿禰が所有していた猪使部を物部目連に与える。 | |||||
| 475 | 雄略 | 19 | 乙卯 | ||
| 3月13日 | 安康天皇の名を残す為に穴穂部を設ける。 | ||||
| 476 | 雄略 | 20 | 丙辰 | ||
| 高麗王が百済を攻め滅ぼす。 | |||||
| 477 | 雄略 | 21 | 丁巳 | ||
| 3月 | 久麻那利(コムナリ)を百済の汶州王に賜る。 | ||||
| 478 | 雄略 | 22 | 戊午 | ||
| 1月1日 | 白髪皇子を皇太子とする。 | ||||
| 7月 | 浦島、蓬莱山へいく | ||||
| 479 | 雄略 | 23 | 己未 | ||
| 4月 | 百済の文斤王が亡くなる。東城王が即位 | ||||
| 安致臣(アチノオミ)・馬飼臣(ウマカイノオミ)高麗を討つ | |||||
| 7月1日 | 天皇発病 | ||||
| 8月7日 | 遺言を詔(この時崩御か?) | ||||
| 新羅討伐の為に派遣する兵の中の蝦夷が天皇崩御の報に接し、背くが鎮圧される。 |