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INDEX

00.まえがきと目次
01.第一章 奈良時代の学者も知っていた女王〈卑彌呼〉
02.第二章〈卑彌呼〉とは誰か?
03.第三章『魏志倭人伝』の概要
04.第四章『魏志倭人伝』の信憑性
05.第五章〈卑彌呼〉という名の探索
06.第六章〈天照大神〉説の検討
07.第七章〈神功皇后〉説の検討
08.第八章〈倭迹迹日百襲姫命〉が活躍する崇神天皇の時代
09.第九章〈倭迹迹日百襲姫命〉と《籠神社》の秘密
10.第十章〈倭迹迹日百襲姫命〉が眠る日本最古の「超巨大」前方後円墳《箸墓》の謎

『卑弥呼と日本書紀』039

■□■□■ 第三章 『魏志倭人伝』の概要 ■□■□■


百船の 泊つる対馬の 浅茅山 時雨の雨に もみたひにけり
〔万葉集3697〕
「たくさんの船が停泊する津(港)ではないが、対馬の浅茅山はしぐれの雨に色づいている」

新羅へか 家にか帰る 壱岐の島 行かむたどきも 思いかねつも
〔六鯖(万葉集3696)〕
「新羅へ行くか家に帰るか、壱岐ではないが行くべき手段も思いつかない。(壱岐は行きにかけられた枕詞)」

大船に 真楫しじぬき この吾子を 唐国へやる 斎へ神たち
〔光明皇后(万葉集4240)〕
「大きな船に櫓をたくさんつけてこの子を唐の国へ派遣します。神々よどうかお守りください。(光明皇后が遣唐大使として出発する甥の藤原朝臣清河に賜った歌)」


■■■■■ 三・一 議論の少ない対馬から奴国まで ■■■■■


『魏志倭人伝』は戦後の日本ではとても有名になっていて教科書にもでてくるので、名前と大まかな内容については、ほとんどの読者がごぞんじと思う。
 三世紀の前半――現在の日本の歴史用語でいえば弥生時代のおわり――における日本のありさまや魏の国との交流の様子を記した史料である。
 ただ、その文章を最後まできちんと読んだ人はすくないかもしれないので、その内容について、簡単におさらいしておく。
 くわしいことは、数多くある翻訳書でお調べいただきたい。
 文庫判で翻訳文が十頁ほど、原文だとその半分にもならない量のものである。

 断片的な知識を無理につないだような短い文章で、論理的にきちんと筋が通る話ではなく、何種類にも解釈できるはしょった文章――何種類にも意味がとれるのが漢文の大きな欠点とされる――なのだが、とりあえず、概要を述べておこう。

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第三章INDEX

039.第三章 『魏志倭人伝』の概要
    三・一 議論の少ない対馬から奴国まで
040.    金印発見で裏づけられた前文
041.    朝鮮半島〜対馬〜壱岐
042.    末廬国〜伊都国〜奴国
043.      上記の続き
044.    ◎北九州地図での確認
045.三・二 議論百出の奴国から先
        不弥国〜投馬国〜《邪馬台国》
046.    《邪馬台国》の謎に直面
047.      上記の続き
048.    《邪馬臺國》か《邪馬壹國》か
049.    国々の一覧
050.      上記の続き
051.    狗奴国の謎と重要性
052.三・三 風俗・習慣・制度
053.      上記の続き
054.      上記の続き
055.      上記の続き
056.三・四 〈卑彌呼〉の時代の東アジア
        前漢から公孫氏の時代まで
057.      上記の続き
058.    公孫氏の滅亡と魏の半島支配
059.      上記の続き
        高句麗の南下と任那の拡大
060.      上記の続き
061.    任那の滅亡と日本の危機
062.三・五 〈卑彌呼〉以後の東アジアと日本の安全保障
        新羅の制覇から現在まで
063.      上記の続き
064.    朝鮮半島との関係は弥生時代から
065.      上記の続き
        任那は古代日本の領土である
066.      上記の続き
067.三・六 謎の多い七つの対魏外交記録1――景初三年――
        〈一〉景初三年(明帝(めいてい)・叡(えい)の年号/西暦二三九年)六月
068.      上記の続き
069.    〈二〉景初三年(西暦二三九年)十二月(1)――重要な詔書の内容――
070.      上記の続き
        〈二〉景初三年(西暦二三九年)十二月(2)――証拠は見つかるのか――
071.      上記の続き
072.三・七 謎の多い七つの対魏外交記録2―正始元年から泰始二年まで―
        〈三〉正始元年(廃帝・芳の年号/西暦二四〇年)
073.      上記の続き
        〈四〉正始四年(西暦二四三年)
074.    〈五〉正始六年(西暦二四五年)
        〈六〉正始八年(西暦二四七年)
075.      上記の続き
        〈七〉泰始二年十月(晋の武帝の年号/西暦二六六年)
076.      上記の続き
077.三・八 果たして殺人事件か〈卑彌呼〉唐突の死
        興味ぶかい『起居注』の記述
078.      上記の続き
        〈卑彌呼〉とつぜんの死と巨大な墳墓
079.      上記の続き
080.      上記の続き
        後継者〈臺與〉と〈卑彌呼〉の死の謎墓
081.      上記の続き
082.三・九 『魏志倭人伝』成立の経緯
        『三国志』の中の『魏志倭人伝』の位置づけ
083.      上記の続き
084.    『魏志倭人伝』の執筆者


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