00.まえがきと目次
01.第一章 奈良時代の学者も知っていた女王〈卑彌呼〉
02.第二章〈卑彌呼〉とは誰か?
03.第三章『魏志倭人伝』の概要
04.第四章『魏志倭人伝』の信憑性
05.第五章〈卑彌呼〉という名の探索
06.第六章〈天照大神〉説の検討
07.第七章〈神功皇后〉説の検討
08.第八章〈倭迹迹日百襲姫命〉が活躍する崇神天皇の時代
09.第九章〈倭迹迹日百襲姫命〉と《籠神社》の秘密
10.第十章〈倭迹迹日百襲姫命〉が眠る日本最古の「超巨大」前方後円墳《箸墓》の謎
『卑弥呼と日本書紀』085
■□■□■ 第四章 『魏志倭人伝』の信憑性 ■□■□■
松浦縣 佐用姫の子が 領巾振りし 山の名のみや 聞きつつをらむ
〔山上憶良(万葉集868)〕
「松浦国の佐用姫が肩にかけた布を振って夫を慕ったというこの山の名だけを聞いていることであろうか。
(任那へ赴任する夫を慕って石になってしまった佐用姫の伝説で、松浦の山に領巾の嶺という名がつけられた。夫の大伴狹手彦は朝鮮半島で活躍し、仏教伝来にも功績のあった中央の武将だが、のちに高句麗の女性を妻にしたので、さらに佐用姫の伝説は人々の心をうった)」
松浦川 玉島の浦に 若鮎釣る 妹らを見らむ 人の羨しさ
〔万葉集863〕
「松浦川の玉島の浦で若鮎を釣る娘を見ている人が羨ましいことだ」
■■■■■ 四・一 又聞きの信憑性 ■■■■■
『三国志』の著者、すなわち『魏志倭人伝』の著者の陳壽や、その元本『魏略』の著者魚豢が参考にしたであろう史料がつぎの二つであることは、よういに推察できる。
〈ア〉日本に派遣された使者の帰国報告の記録またはその伝聞。
〈イ〉日本からの使者が帯方郡や魏の都で述べた言葉の記録またはその伝聞。
以下、この〈ア〉と〈イ〉について考えてみる。
[つづく]
085.第四章 『魏志倭人伝』の信憑性
四・一 又聞きの信憑性
086. 魏国の使者は北九州までしか来ていない
087. 上の続き
088. 難升米は漢文に通じていたか
089. 上記の続き
魏国や帯方郡の役人の意欲
090. 上記の続き
第四・一節の結論
091.四・二 地理の面での信憑性
地理で考える「九州説」と「大和説」
092. 上記の続き
古代の日本列島
093. 上記の続き
094. 上記の続き
『魏志倭人伝』の著者が見た地図とは?
095. 上記の続き
096. 「古今華夷区域総要図(ここんかいくいきそうようず)」(図4・3a)について
097. 「混一疆理歴代国都之図(こんいつきょうりれきだいこくとのず)」(図4・3b)について
098. 上記の続き
「籌海図編(ちゅうかいずへん)」(図4・3c)について
099. 上記の続き
九十度ちがう地図の波紋
100. 上記の続き
さらに強力な論拠
101. 上記の続き
第四・二節の結論
102.四・三 シナ正史自体の信憑性
奇々怪々な『明史日本伝』
103. 上記の続き
104. 対日蔑視と誇大数字
105. 上記の続き
第四・三節の結論