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卑彌呼3(人名事典の卑彌呼)

〈卑彌呼〉の名を手元の人名辞典の類がどのように記しているか、引用してみます。

◎『コンサイス人名辞典(三省堂)』
 卑弥呼については、ヒメミコトの略とする説、ヒムカ(日向)という巫女王名とする説などがある。『日本書紀』は神功皇后にあてているが、倭迹迹日百襲姫(ヤマトトトヒモモソヒメ)説や九州の女王説などがある。

◎『日本歴史大辞典全20巻(河出書房新社)』
 邪馬台国の所在を九州とするか、大和とするかで、卑彌呼をある九州の女酋とする考えと、神功皇后や倭姫命(ヤマトヒメノミコト)、ないし倭迹迹日百襲姫命にあてるなど諸説がある。

◎『日本古代史事典(大和書房)』
(卑彌呼(ひみこ/ひめこ)について)邪馬台国九州説は九州の女酋とし、近畿説では倭迹迹日百襲姫命・倭姫命・神功皇后などに比定する説がある。

◎『日本史人物事典(講談社)』
 北九州にいた巫女であった。

(これ以外のものも大同小異でしょう)

 このようにいろいろありますが、文献史料からいいますと、九州に特定の名前を探すのは困難です。
『日本書紀』には、景行天皇の九州遠征時に、神夏磯媛(カムナツソヒメ)や八女津媛(ヤメツヒメ)に遭遇した記述があり、明治期にはこれらと卑彌呼を結びつける説も出ましたが、修正紀年からはちょっと無理があります。これらの媛の先代だろう――といった説もありますが、想像にすぎません。九州説の場合には、事典類のように、巫女的な能力をもった女酋長だろうというのが、一般的で、良心的な学者は個人名を文献に探してはいないようです。

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