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卑彌呼5(倭姫命)

〈倭姫命(ヤマトヒメノミコト)〉は、垂仁天皇の皇女で、崇神天皇前期まで皇居にあった〈天照大神〉のご神体を伊勢神宮に奉斎した責任者で、伊勢におちついてからの初代斎王です。
 その大和から伊勢へのご巡幸は、『日本書紀』にもありますが、神道五部書の第五でも有名です。
 このご巡幸については、「当時は伊勢には人は住んでいなかったのだから伝説にすぎない」という記紀否定の戦後の説がありますが、最近になってその時代の住居跡が伊勢神宮の近くで発掘されたりしており、信憑性が高まっています。

 最近の考古学の成果の多くは、「記紀を否定する戦後の自虐的古代史観を否定」するもののようです。つくる会理事の高森さんの本を読むとよくわかります。

 さて、有名な内藤湖南が最初に唱えたとされる「卑彌呼=倭姫命説」は、明治時代にかなり盛んに言われ、いくぶんかの可能性がありますが、現在の修正紀年から、多くの学者が否定しています。
 修正紀年を念頭においた垂仁天皇の崩年干支推定は西暦311年ですし、崇神天皇の崩年干支推定も258年または271年ですので、かなり無理があります。またさらに景行天皇からの逆算でも、かなりの無理があります。
 ただし〈倭姫命〉の別名に、トヨと推定できる名があったり、ヒミコに近い読みの名があったりするので、関係の深さを想像することはできます。
 つまり、〈卑彌呼〉の後継者か、後継者のさらに後継者かもしれない――という説があるのです。
(記紀の年代の修正の研究は明治にはじまっており、現在では、崇神天皇までは、おおまかな意見の一致をみているようです。おおまかというのは、数十年の違いを許せば――という意味です。また、『日本書紀』に記された天皇の崩御年と、学問的な推定年との差が数十年以内になるのは16代の仁徳天皇からで、26代の継体天皇以後はほとんど一致するようです)

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