トップページ]>[歴史のページ]>[卑弥呼]

卑彌呼8(百襲姫二カ所説)

 つぎに、第八代孝元天皇紀に、つぎの注目すべき皇女名があります。
 孝元天皇と皇后の鬱色謎命との間に生まれた皇子・皇女
 〈大彦命〉(=四道将軍の一人で稲荷山刀銘で有名になった)
 〈稚日本根子彦大日日天皇(開化天皇)〉
 〈倭迹迹姫命〉(ヤマトトトヒメ)

〈倭迹迹日百襲姫命〉は他の場所で省略して〈倭迹迹姫命〉と書かれていることもあるので、いろいろな説がありますが、江戸時代最高の国学者で徹底した博捜と論考で有名な本居宣長は、畢生の大作『古事記傳』の二十一之巻において、同一人物が二カ所に記されてしまったのだろう――と長文の考証をしています。
『記紀』は多くの豪族の口伝を集めて編集したものですから、同一人物が二カ所に出てきてしまうことは、よくあるようです。どちらも無視できないので、複数箇所に記したのだろうというわけです。
 憶測にすぎませんが、『古事記』には孝靈天皇の所にしか出てこないので、孝元天皇の皇女だという口伝をもつ豪族が不満を述べて、『日本書紀』には入れさせた――ということかもしれません。これに類することは、とくに神代紀にたくさんあるようです。
 同一人物二カ所説は、明治から平成まで、多くの学者が「そうかもしれない」と述べているようです。
 神武天皇から崇神天皇の間の第二代から第九代までの八代にわたる天皇のすべてが実在したかについては、異論もあります。多くの豪族の口伝を集めるとどうしても矛盾が出るので、その矛盾をなくすために一代増やしたのではないか――という意見があります。

 つぎは〈倭迹迹日百襲姫命〉の母親の問題です。

前ページへ 次ページへ


トップページ]>[歴史のページ]>[誤解と曲解の女帝問題]