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卑彌呼11(倭のつく女性)

『記紀』には不思議な語感の名がたくさんありますが、中でもとくに〈倭迹迹日百襲姫命〉は際だって奇妙です。
 そこで、分解して調べてみます。
〈倭迹迹日百襲姫命〉=「倭」+「迹迹日百襲」+「姫命」
          =「倭」+「迹迹」+「日」+「百襲」+「姫」+「命」
          =・・・・・
 のようになります。

 まず「倭」ですが、もちろんこれは「大和」でありのちには「日本」です。ですから、とくに重要な人物に冠のように付けられたと考えられます。とくに古い時代の女性につく場合は、特別な尊称だったと考えられます。
(後代の男性になると、さほどでない人物にもつけられているようですが)
 そこで、「倭」のつく女性を、『日本書紀』のなかから拾ってみます。
 《 》の中の数字は、推定される主に活躍した時代の天皇の代数です。

[A]百襲姫命本人(二世紀末から三世紀前半?)
A1《9,10》〈倭迹迹日百襲姫命〉(『古事記』では〈夜麻登々母々曽毘賣命〉)
A2《9,10》〈倭迹速神淺茅原目妙姫〉(崇神紀にある百襲姫命の別名)
A3《9,10》〈倭迹迹姫命〉(崇神紀にある百襲姫命の略称)

[B]一?世紀から三世紀末まで
B1《4   》〈倭國豐秋狹太媛〉(百襲姫命の曾祖母の母で孝昭天皇の皇后の母)
B2《7   》〈倭國香媛〉(百襲姫命の母/『古事記』では大倭國在媛)
B3《9,10》〈倭迹迹稚屋姫命〉(百襲姫命の同母妹)
B4《9,10》〈倭迹迹姫命〉(百襲姫命の姪または本人の別名)
B5《11  》〈倭姫命〉(百襲姫命の甥の孫または曾孫/垂仁天皇皇女で伊勢神宮初代斎王)

(ABとCの間、約200年間、見つからない。見逃しているかも?)

[C]六世紀から七世紀
C1《26  》〈倭媛〉(第二十六代繼體天皇の妃/六世紀)
C2《38  》〈倭姫王〉(第三十八代天智天皇の皇后/七世紀)
C3《41  》〈大倭根子天之廣野日女尊〉(天武天皇皇后/持統天皇/太上天皇)

(C3のみ『続日本紀』より)

+++++++++++++++++

 神武天皇の事績が史実を反映しているとしまして、その年代についてですが、私は西暦100年前後の可能性があると考えています。「可能性が高い」と言う自信は無いので、「可能性がある」だけにしておきます。
 その理由は考古学の最近の成果ですが、一口では言いにくいので、一段落したときに記すことにいたします。(もちろん私が考え出した事ではありません)
 さらにその先祖の天照大神になりますと、いくぶんかの史実を反映した物語なのか、あるいは純粋に太陽信仰から来た神話なのかもよく分かりませんし、また史実の反映だとしても、特定の人物を想定はできない先祖の物語かもしれませんので、一応棚上げしております。ただし、卑彌呼についての記憶が、天照大神の神話を補強し、より面白い物語にしている可能性は(いくぶんかは)あるかもしれないと思います。

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