トップページ]>[歴史のページ]>[卑弥呼]

卑彌呼12(倭のつく女性の検討)

「倭」という美称が、どのような女性につけられているかを、Cで見ます。

C1の〈倭媛〉:
 武烈天皇のときに後継者が大和周辺にいなくなるという大和朝廷の存続の危機があり、福井県北部から遠縁の立派な人物を招いたのが繼體天皇ですが、そういう危機があったので、その妃は朝廷を確実にするために重要だったと考えられます。この〈倭媛〉は、大和の地を確たるものにした第十一代垂仁天皇の子孫であり、大和朝廷の血統の中でも格式はひじょうに高く、二男二女を生んでいます。

C2の〈倭姫王〉:
 中大兄皇子としても知られる天智天皇は、大化改新の中心人物であり、時代を画した天皇ですが、その皇后が〈倭姫王〉です。古人皇子の娘ですが、古人皇子とは第34代舒明天皇の皇子です。格式も高いのですが、注目されるのは、この〈倭姫王〉は、天智天皇崩御ののちの混乱の時代に、短期間ではあったが天皇の位(女帝)についたのではないか――とされていることです。『日本書紀』自体からも、それが推測されるのです。〈倭姫王〉はそれほどまでに重要な女性でした。

C3の〈大倭根子天之廣野日女尊〉:
 この女性は天智天皇の皇女で、天武天皇の皇后になり、しかも夫を継いで次代の持統天皇になり、さらに次の文武天皇を指導する太上天皇にもなり、そして日本で最初の本格都市「藤原京」の造営に力をつくし、律令国家の建設に功績をあげた偉大な女帝です。日本史上最高の女帝とされています。
 倭の前に大という美称がついています。根子はその土地の基礎を作ったという意味の尊称で、何方かの天皇や豪族にもつけられていますが、『魏志倭人伝』における役人名の爾支(ニキ)はこの根子(ネコ)だろうとされています。次の天之廣野というのも最大限の賛辞ですし、また日女は媛や姫をもっと丁寧に書いたものですし、尊(ミコト)は命より上とされる表記です。

 このお三方を見ますと、歴史の節目においてきわめて重要な働きをした天皇または天皇のお妃にのみ「倭」がつけられていることが分かります。
 そういう目で、200年を遡って三世紀前後の「倭」のつく女性(AとB)を見てみますと、自然に浮かんでくることがあります。

〈倭迹迹日百襲姫命〉は三種類もの「倭」のつく名で呼ばれており、それ以外の「倭」のつく女性も、B1を別にすると、百襲姫命の近い血縁だけなのです。
 B5はちょっと遠いように思えますが、重要な祭祀担当という観点からは、直系なのです。すなわち〈倭迹迹日百襲姫命〉→〈豐鍬入姫命〉→〈倭姫命〉の系列です。
(うち〈豐鍬入姫命(トヨスキイリヒメ)〉は百襲姫の甥の子または孫(一説では百襲姫の姪)で、古くから〈臺與(トヨ)〉に擬せられている、天照大神の巫女/神子です。伊勢神宮の前に天照大神を祀った元伊勢神社の初代の巫女です。二代目が倭姫命です)
 しかも、百襲姫の母親には、「大和の国をつくったとか美しく香らせたとかいう意味の別格の尊称」が付けられているのです。さらにこの母親の名は『古事記』では頭に「大倭」が付いていて、持統天皇と同格なのです。

 ですから、三世紀の崇神天皇の時代およびその直前に、〈倭迹迹日百襲姫命〉をめぐって、『記紀』には記されていない何か重要なことがあったのではないか――という想像がわいてくるのです。

 つぎに、「倭」そのものについて、語源を調べてみます。

前ページへ 次ページへ


トップページ]>[歴史のページ]>[誤解と曲解の女帝問題]