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卑彌呼13(なぜ日本を倭と書くのか)

『魏志倭人伝』や他の古代シナ史書では、日本や日本人のことを「倭国」とか「倭人」とか記しています。
 なぜ「倭」といったのかについて、いろいろな説があります。

甲――
『日本書紀』の研究は奈良時代から平安時代にかけて、かなり行われたようです。鎌倉中期か末期に、大学者の卜部兼方が、過去の研究を集大成して『釋日本紀』を著しました。
 この『釋日本紀』に、「倭」や「倭奴国」についての解釈があります。
 簡単に言えば、シナ王朝に派遣された日本人が、「お前の国は何というのか」と質問されて、(東の方を指して)「我の国は・・・」とか「我々の国は・・・」といった返事をしたので、その冒頭の「ワ」という発音を「倭」であらわして、日本の名としたのであろう――というものです。古代の我は「ワレ」だけでなく「ワ」ともいったようです。
(印象的な発音を選んで一字で表現するのは、シナの役人がよくやることのようですが、日本人の発音にも「ワ」があったようです)
 南朝の忠臣北畠親房は、当時の最高の学者でしたが、天皇に歴史をご進講するために『神皇正統記』を著しました。1339年成立とされています。
 この中で親房は、以下のように述べています。
「昔此の國の人、初めて彼の土に至れりしに、汝が國の名をばいかゞ云ふと問ひければ、我が國はと云ふを聞きて、即ち倭と名付けたりと見ゆ」
 これは『釋日本紀』の意見とほとんど同じで、おそらくそのまま引用したのでしょう。

乙――
 弥生時代の日本の集落は、ほとんどが円状の環濠に囲まれていました。そこで、「お前の国は?」と聞かれた日本人が「ワ(輪)の中にある」と答えたので、「倭」というようになった――という説があります。輪、環などの漢字の訓である「ワ」は、円状をあらわす日本古来の言葉です。

丙――
 漢字としての「倭」の意味は、白川静の「字三部作」や漢和辞典の類を見ますと、「低い姿勢」とか「したがう」とかいった意味が本来のようです。したがって、日本人の体格や態度を見て、「倭」がふさわしいので「倭」と名付けた――という説があります。

 このうち丙は、『魏志倭人伝』などにある他の名前がほとんど日本人の発音を漢字で音写していることから、ちょっと無理があると考えられているようです。
 私の感覚では、甲>乙>丙の順で本当らしく思えます。
 甲を支持する人は、現代の学者にも多いようです。

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