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卑彌呼14(なぜヤマトと読むのか)

 日本では、その後次第に、「倭」のかわりに「和」を使うことが増え、さらに「大和」という表記ができてきます。
 これは、日本人の漢字の勉強がすすむにつれて、「倭」の意味が自分たちの国にふさわしくないと思うようになり、同じ発音で「ヤワラグ」とか「ナゴム」とかいった日本人好みの意味を持つ漢字「和」を使おうと考えたのだろうと、言われています。
 大和言葉としての「ワ」は、円、環、輪、回などと言った意味ですが、これそのものも落ち着きのある語感なので、「和」という「ヤワラグ」「ナゴム」という意味に通じるものがあります。

 さて次の問題は、この「倭」「和」「大和」を、なぜ訓では「ヤマト」と読むのか――ということです。
 ふつうの訓は、「重(ジュウ)」を「オモイ」と読み、「軽(ケイ)」を「カルイ」と読むように、漢字の元来の意味からきています。
 しかしそういう訓では、「倭」は「シタガウ」ですし、「和」は「ヤワラグ」「ナゴム」ですし「大」は「オオ」です。ですから「倭」の訓は「シタガウ」などであり「大和」の訓は「オオ・ヤワラグ」などであって、どうひねっても「ヤマト」などという訓読みは出てきません。もちろん音読みからもまったく出てきません。

「ヤマト」という読みは、邪馬台国の「邪馬台」にじつによく似ています。
「邪馬台」を「ヤマタイ」と読もうが「ヤマド」と読もうが、よく似ていますし、「ヤマト」と読むのだろう、という学者も多くいます。ちなみに隋書倭國傳では、「邪馬台は邪摩堆」だと記していまして、まさに「ヤマト」です。
 ですから、「ヤマト」という訓読みの探索は、《邪馬台国》探しにとっても、重要となります。

 先にご紹介した『神皇正統記』においては、(『釋日本紀』からの推理らしく)山を歩いた足跡という意味の「山迹」、または山に居住したという意味の「山止」からきたのだろうと、していますが、これは現在では賛同者は少ないようです。

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