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卑彌呼16(姫と命)

(ほんとうは訓をひらがなで書き、音をカタカナで書いて区別するべきかもしれませんが、最初にそのような統一はしなかったので、主にカタカナで書きます)

「姫」の訓は「ヒメ」ですが、これは「媛」とも書き、「日女」とも書きます。
「日女」がもっとも元の大和言葉の意味に忠実な漢字のようです。
「ヒ」は太陽の意味で、「日」です。また太陽のもつ優れた力から、「活力の源泉となる超自然的な力」をも意味するようになり、それは「靈」の漢字が当てはめられました。
 昼のヒ、東のヒも同源です。人のヒ、左のヒも同源という話もあります。
(天照大神は左目を洗ったとき、または左手に神鏡を持ったときに生まれましたし、注連縄は左撚りです)
 なおこの「ヒ」は甲類で、「火(ヒ)」は乙類ですが、同源という意見もあります。
 つぎに、「メ」は「女」とか「妻」とかいった意味です。愛でるのメと同じという話もあります。

 後の時代においては、「メ」だけを単独で取り出すと、軽い意味でも使っています(たとえば「奴メ」と怒るとき)が、古代(*)における「ヒ」+「メ」は、「日女」すなわち太陽の妻といった、太陽祭祀の意味があり、神に認められた高貴な女性であったり、神に仕える巫女であったりします。古代における皇族の女性は、多くの場合、神に仕える巫女でもありました。
 要するに「ヒメ」とは、高貴な女性に付けられる霊的な意味をもつ尊称です。
 またとくに「日女」と表記するのは、「太陽祭祀/太陽の妻」を強く意識したときのようです。〈天照大神〉の尊称は〈大日靈女貴〉ですが、単に〈日女命〉と書くこともあるようです(たしか『万葉集』)。

(姫と対称的な彦は「ヒコ」すなわち「日」+「子」で、太陽の子=貴い男性という意味です。XX彦はいまでは大衆的な名前ですが、古代においては貴人の尊称であり、『魏志倭人伝』にある官名の「卑狗」は「彦」だとされています。長い名前の末尾だけを採ったのかもしれませんし、日本人が役人のトップを「ヒコ」という尊称だけで呼んでいたのかもしれません)

「命」の訓は「ミコト」で、これは「御言」だとされています。天皇陛下のお言葉である「みことのり」の「みこと」はこの「御言」で、「御言宣り」です。また、「言」と「事」は通じており、名前の最後につく「ミコト」は、「御事」だとされています。
 当然ながら、貴人の尊称で、男女ともにつきます。「尊」と書くときは、神代における特別な身分が多いようです。意識して使い分けされています。

『魏志倭人伝』に出てくる卑彌弓呼(ヒミココ)は、卑弓彌呼(ヒコミコ)の写し間違いで、「彦命」または「彦御子」だろうとされています。

 以上をまとめまして、古代における「ヒメミコト/ヒメノミコト」という言葉は、神につかえる霊的で高貴な女性(大和朝廷の皇女で太陽祭祀を担当したり巫女であったりすることも多い)を意味する最大限の、そして重大な尊称でした。
 つまり、現在の我々とはまったく感じ方が違っていたと考えられます。
 記紀ができた奈良時代でも、卑彌呼の時代とは、かなり違ってきていたのではないかと想像しています。

(*「古代」の用法は戦前と戦後とでずいぶん違っているようですが、ここでは、古い用法で飛鳥時代より前の大和朝廷の時代を言っています。この用法では、古代の前は神代です)

 つぎはいよいよ難問の〈迹迹日百襲〉の意味についてです。

(甲乙の話は別途記すことにしますが、古語関係の本にはいろいろと出ています)

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