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卑彌呼17(迹迹日百襲の謎)

〈百襲姫命〉は、『日本書紀』では〈倭迹迹日百襲姫命〉ですが、『古事記』では〈夜麻登々母々曽毘賣命〉と表記されています。これは「ヤマトトモモソヒメミコト」と読みますが、『日本書紀』式に書くと、〈倭迹百襲姫命〉です。つまり迹と日が不足しています。
 このうち迹については、迹迹が迹になるような省略はよくある(千々が千になるなど)ようなので、不思議ではありません。日の省略はよくわかりませんが、より丁寧な名かどうかという事なので、写し間違いでなければ、豪族たちの間でいろいろな伝承があったのでしょう。一般には『古事記』は多くの豪族の口伝をかなり整理編集して物語をつくっているようですし、『日本書紀』は多少の矛盾が出ても有力な豪族の持つ伝承をなるべく取り入れているようです。
 とくにこの〈倭迹迹日百襲姫命〉についての記述は、〈饒速日命〉系の伝承の色が濃いように思いますが、おそらく、『日本書紀』にさえ取り入れられなかった伝承がかなりあり、それを不満に思った〈饒速日命〉系の人たちが後に自分たち独自の史書を作ったとされています。
 さてもうひとつ、『古事記』と『日本書紀』との違いに、「百」と「母々」があります。「百」の「モモ」は甲類なのに、「母々」の「モモ」は乙類なのです。しかし、別の豪族が伝えた話だとすれば解釈できるので、同一女性であることは間違いないと思います。

 というわけで、以下は、『日本書紀』の表記によって調べます。

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