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卑彌呼18(続・迹迹日百襲の謎)

「迹迹」の読みの「トト」は、今でも「鳥」や「魚」の幼児語として使われています。
 今でも鳥は接頭語にしたときに「ト」と読みます。鳥座(トグラ)、鳥屋(トヤ)などです。したがって、たぶん、「鳥」の意味だろうというのが多くの人の説です。
(トト→チチ→千々→縮み→縮織の布→立派な衣服という説もあるようですが、私には読みとれません)
「日」は前述のとおりで、太陽または神霊です。
「百」は「モモ」で、元来は「とても数が多い」の意味で、そこから「百」という意味が出たようです。
「襲(オソフ)」は押すと覆うの複合語で、上から覆うようにして攻めるという意味だそうですが、真ん中だけをとって「ソ」ともいいます。また衣をつくる繊維を「麻(ソ)」といい、「衣」も「ソ」と言います(甲類乙類はやや混乱していますが)。

 ここまで来てもこの名の意味は明解にはなりませんが、じつは専門家の間でも意見は一致していないようです。いくつかの意見を記します。

小学館の『日本書紀』の訳注においては、
「迹迹日は十十靈で、十×十=百となる霊的な――といった意味で、百襲姫にかかる枕詞的なものであろう。また百襲は数多く神異がその姫を襲うという意味かもしれない」

岩波の『日本書紀』の訳注においては、
「トトヒ(迹迹日)は鳥飛び、モモ(百)は百、ソ(襲)は十の意であろうか。トトヒは魂の飛ぶことの比喩となることがある」
(この見解は飛鳥(アスカ)を連想させます。アスカ地方は狭い意味での《大和》のすぐ隣ですが、美しい鳥が飛んでいたので「飛鳥のアスカ」という枕詞ができ、そこからアスカを飛鳥と書くようになったと言われています。〈百襲姫命〉はそのような美しい鳥の飛ぶ場所の貴人だというわけです)

 アマチュアから出発した考古学者の原田大六は、
「迹迹日は飛速(トビハヤ)から出た言葉で、天に飛び国に飛び帰るの意味であろう。また百襲は百衣で多くの衣裳という意味だろう。すなわち〈倭迹迹日百襲姫命〉とは、日本の都である倭国の天界と地界を結ぶ有翼の、たくさんの衣裳をもつ姫ということである」
この解釈は、〈百襲姫命〉の別名に〈倭迹速・・・〉とあることや、妹の〈倭迹迹稚屋姫命〉が『古事記』では〈倭飛羽矢若屋比賣〉とされていることからも、導かれています。

俳優で大和の発掘にも携わってきた苅谷俊介は、
「迹迹日の迹迹(トト)は鳥のこと。いまでも幼児言葉で鳥や鶏をトトと呼ぶ。日は霊力・太陽だろう。百襲は百十で、これは『魏志倭人伝』にある〈卑彌呼〉の墓が「径百余歩」とあることを連想させる」

 奇妙で面白い名前の多い『日本書紀』においても、〈倭迹迹日百襲姫命〉は別格の不思議な名前であり、いまだにその意味について決定打が無いようです。
 ここでは何十もある意見を参考にして、私なりの解釈を強引に作ってみます。

「美しい大和(倭)において、飛ぶ鳥(迹迹)のごとくに、霊力(日)が、数多く(百)、覆いかぶさってきている(襲)、太陽の妻(姫)である、高貴な人(命)」

 これは私の単なる想像であって、学問的な意見ではありませんので、誤解しないでください。
(参考にした古代語についての本は、白川静『字三部作』と林兼明『神に関する古語の研究』です。後者は《籠神社》の海部家第八十二代海部光彦宮司の御尊父。海部家は天皇家と同じくらい古いとされる超長家系で、代数においてこれに匹敵するのは出雲大社宮司の千家氏くらいのものです)

 つぎに、神武東征の時代について雑談をし、それから〈百襲姫命〉が〈卑彌呼〉の時代にどのような活躍をしていたかを調べます。

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