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「草薙の剣」雑談

 三種の神器は日本人の心の歴史という側面と考古学的な側面とがあるので、扱いは微妙ですが、私は、心を第一とし、考古学を第二と考えています。

 熱田神宮に祀られている草薙の剣は、崇神天皇の御代に八咫鏡とともに皇宮から外の元伊勢に遷り、次の垂仁天皇の御代に伊勢神宮に落ち着いたわけですが、その次の景行天皇の時代に日本武尊が斎王の倭姫命から授かって、東国を平定し、死後に熱田神宮の御神体として祀られました。たぶん、尾張一族が祭祀を担当したのだと思います。
(尾張は物部の遠縁ですが、物部と違って大和朝廷と複雑な関係にあるようですが・・・。)
 それ以後熱田神宮の草薙の剣は、朝鮮の密偵に盗まれたり、江戸時代にも泥棒に盗まれたり、終戦時に米軍に取られそうになったり、危機はあったものの、なんとか切り抜けて現在に至っているようです。
 で、その正体ですが、絶対に見てはいけない規則になっているので、見た人はいない筈なのですが、じつは、そのものを見た記録が一つと、袋の上から見た記録が二つ残されています。

1.江戸時代に熱田神宮の神職数人が、夜ひそかに見てしまったのだそうで、その記録が江戸時代の本の一部に記されています。
2.鎌倉時代に本殿が火事になったとき、剣を救い出す有様を、奉仕に来ていた公家の娘が袋の上から見て、その大きさなどを日記に残しています。
3.終戦時に米軍の乱暴から守るために(熱田神宮は戦災で焼失しました)、岐阜県に疎開したのですが、そのときに神官が捧げ持った記録があります。また箱の記録もあります。

 以上から、草薙の剣の正体は、「長さほぼ60センチの諸刃の銅剣」だと分かっています。

 崇神天皇のときに皇宮に置かれたレプリカの剣も同様の形状だと思いますが、これは壇ノ浦に沈んだので、伊勢神宮が作り直しました。

 南北朝時代などに、激しく争奪戦を演じたのは、皇居におかれた三種の神器ですから、勾玉以外はレプリカなのですが、しかしレプリカといっても実質的に大和朝廷の開祖である崇神天皇の作ですから、きわめて重要で、それが正統の証だったわけです。

(八咫鏡の正体についてはまた別の機会に)

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