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卑彌呼26(続・百襲姫命の活躍)

 崇神天皇は〈天照大神〉や〈倭大國魂神〉を皇宮外に祀りましたが、この年になっても疫病はやまず《大和》周辺の混乱はいっこうに収まりません。
 そこで崇神天皇は、
「自分の代になって災害がおこるのは、神々のお咎めであろう。それがなぜなのかを、占いたい」
 ――との詔勅を出して、神浅茅原(三輪山西山麓)に神々(有力者たち)を集めて占いました。
 崇神天皇七年二月のことです。
 こうして占っていると、集まった中の〈倭迹迹日百襲姫命〉に神が憑依して、
「もし私を祭るならば必ず天下は平穏になるだろう」
 ――と告げます。
 いずれの神でしょうか、と天皇が問うと、
「倭国の内にいる神、名を〈大物主神(オオモノヌシ)〉という」
 ――と答えました。〈大物主神〉とは《三輪山》の神です。
 いよいよ〈卑彌呼〉の有力候補〈倭迹迹日百襲姫命〉の出現です。天皇へ神託を述べて、天皇を指導する強力な神子(巫女)としての登場です。
 しかも集まった有力者たちの中で唯一人百襲姫命だけが、神託を述べたのです。

 崇神天皇はさっそく祭祀をおこないましたが、効果がないので、さらに斎戒沐浴して祈りますと、夢に〈大物主神〉があらわれて、
「わが子の大田田根子に私を祀らせれば、世は平穏になるだろうし、海外の国もなびくだろう」
 ――といわれました。
 さらに八月になって、倭迹速神浅茅原目妙姫・大水口宿禰・伊勢麻績君の三人が同じ夢をみて、天皇に奏上します。
「昨夜の夢に貴人があらわれて、大田田根子に〈大物主神〉を祀らせ、市磯長尾市に〈倭大國魂神〉を祀らせれば、かならず天下は太平になるだろう――と告げられました」
 この三人の筆頭の目妙姫とは、〈倭迹迹日百襲姫命〉その人だとされています。神浅茅原で神託を告げたのでこの名で呼ばれたのでしょう。
 天皇はただちに大田田根子を探したところ、すぐに見つかりました。
 たずねると、
「父は〈大物主神〉、母は活玉依媛です」
 ――と答えます。
 父が〈大物主神〉というのは、要するにこの神に関係の深い有力者ということです。母親は、一説では《三輪山》の祭祀土器を製作する一族、または三輪産の酒を入れる陶器の産地の一族だといいます。大田田はずばり稲作を連想させる名です。根子は前述しました。

 この大田田根子の出現を喜ばれた天皇は、物部一族の祖のひとり伊香色雄(崇神天皇の母伊香色謎命の弟)に祭具をつくるよう命じ、奉斎の準備を進めます。
 一方〈倭大國魂神〉を祀る大和神社の宮司となる長尾市は倭直の祖といわれ、さらにその遠祖は神武天皇を瀬戸内海で案内した椎根津彦といわれています。
 東征の功労者の子孫を名乗る人たちを要職につけたことがわかりますし、朝廷に協力した有力者たちの顔をまんべんなく立てていることがわかります。
 十一月になって、準備が整い、大田田根子に〈大物主神〉を奉祀させ、長尾市に――病気の渟名城入姫命のかわりに――〈倭大國魂神〉を奉祀させ、さらに多くの神々を祀ったところ、ようやく疫病は途絶え、反乱は治まり、大和は平穏となり、五穀豊穣となりました。
(この話を元にして、「崇神天皇の御代に創建」と主張する神社が日本中にたくさんあります)

 翌年、《三輪山》=〈大物主神〉を祀る《大神神社(オオミワジンジャ)》の社殿で有名な神事の酒盛りがなされ、御神酒をつくった活日が歌を詠みます。
「この神酒は わが神酒ならず 大和なす 大物主の 醸みし神酒 幾久 幾久」
 これが杜氏の先祖伝説です。

《三輪山》=〈大物主神〉を朝廷が丁重に祀ったのは《三輪山》を信仰する三輪一族対策であったろうという推理は、多くの学者が述べています。三輪氏は長く天皇の側近として仕え、神功皇后の三韓征伐にも従軍した豪族で、後々まで《三輪山》周辺を本拠としていたようです。
 いずれにせよこれで、前回に記した5.を祀ることができ、混乱や反乱は鎮まりました。そして、それに貢献したのが、天皇直系であるとともに三輪一族や物部一族の血もひいている〈倭迹迹日百襲姫命〉だったわけです。もし百襲姫命がいなかったら、周囲の反乱を抑えることができず、大和朝廷はこの時点で途絶えていたかもしれません。
 なお3.はすぐあとで《石上神宮》として創建され、4.は出雲大社です。

 崇神天皇を囲む有力者のなかで、〈倭迹迹日百襲姫命〉は圧倒的な存在感があります。

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