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卑彌呼28(百襲姫命の活躍3)

『古事記』においては、〈大物主神〉と大田田根子について、すこし違った記述があるので、簡単に記しておきます。
 まず最初に大田田根子が〈大物主神〉を祀る場面ですが、「大田田根子を祭主として《三輪山》で〈大物主神〉を拝み祀った」――とされています。
 つまりとてもはっきりしています。
(百襲姫命と大田田根子の関係は、高度の政治的判断力を持つ神子と祭祀の実務担当との関係――というのが、通説のようです)

 つぎに大田田根子自身ですが、意富多々泥古(読みは同じ)と書かれており、「〈大物主神〉と活玉依媛の直接の子ではなく子孫」ということになっています。
 さらにこの媛が〈大物主神〉の子どもを宿したときの物語があります。
 媛のところに立派な男性が夜毎通ってきて、媛は身籠もった。両親が不思議に思って麻糸に針をつけて男の着物の裾に刺しなさい――と命じます。
 そのようにすると、糸は鍵穴から出ており、糸巻には三巻しか残っていませんでした。
 その糸をたどってゆくと、《三輪山》について、その社で終わっていました。そこで宿したのが神の子だと知ります。そして糸が三巻残っていたことからその地を三輪と名づけました。

 よくある古代の結婚譚ですが、この三巻は、崇神天皇と皇后の国風謚号(たぶん実名)の御間城(ミマキ)を連想させます。

 このあとも〈倭迹迹日百襲姫命〉は「神懸かり的な能力」を発揮して崇神天皇を助け、大和朝廷の危機を救います。

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