トップページ]>[歴史のページ]>[卑弥呼]

卑彌呼33(記紀以外の百襲姫命3)

《籠神社》の社宝は、二千年から一千数百年ものあいだ厳秘にされてきたのですが、先代宮司(海部氏第八十一代)の海部穀定氏が研究熱心で、社殿に秘匿されてきた「神鏡」や古文書を研究して、国に申請し、このなかの海部氏の系図が昭和五十一年に国宝に指定されました。
 穀定氏は研究成果を『元初の最高神と大和朝廷の元始』と題する本にまとめて昭和五十九年に上梓しました。
 その後海部光彦氏らがこれを再編集して『元伊勢の秘宝と国宝海部氏系図』として昭和六十三年に刊行しました。
 また熱心な研究家の金久与市氏が昭和五十八年に『古代海部氏の系図』として研究結果を報告されました。現在その改訂版が出ています。私はこの金久与市さんや海部光彦さんから大変親切にしていただきまして、いろいろと資料を得ることができました。
 このような秘宝公開の機運のなかで、昭和六十一年に学者による「神鏡」の調査結果が発表され、翌六十二年にマスコミに公開され、何機ものヘリコプターが出るほどの騒ぎになりました。

 さらに平成四年になって、系図の全貌が活字化されて神道大系から刊行されて、誰でも読めるようになり、古代史研究家に衝撃を与えました。

「神鏡」は《籠神社》では辺津鏡、息津鏡と称されてきたもので、この名称は『先代旧事本紀』にある「十種の神宝」の中の筆頭の二面の鏡と同じです。
 つまり、神話にある「神鏡」が神社の本殿に伝世されていたわけです。
 有名な樋口隆康教授らの学術調査団によりますと、これは前漢鏡と後漢鏡で、辺津鏡は約2100年前の前漢鏡で学問名を「内行花文昭明鏡」(直径95ミリ)で、息津鏡は約1950年前の後漢鏡で学問名を「内行花文長宜子孫鏡」(直径175ミリ)ということが分かりました。
 これは、伝世鏡としては日本最古(おそらく世界最古)ですし、遺跡からも大和周辺では出ていないと思います。
 この種の鏡は北九州の遺跡からの出土があるだけだろうと思います。
 なにしろ、二千年以上も前の鏡が、厳秘を保って神社本殿に伝世されていたのです。
 これはほんとうに驚異的なことで、考古学会が興奮したのも無理はありません。

 この「神鏡」は高天原の天津神から饒速日命が授かったと神話に書かれている鏡ですので、兄弟の瓊瓊杵尊が〈天照大神〉から授かった「三種の神器」の「八咫鏡」を連想します。
 大きさからの判断では、「八咫鏡」は後漢鏡の息津鏡に近いようですが、「八咫鏡」には記録によると紐を通す穴がついており、形状がすこし違うようです。
 後漢鏡をモデルにして作ったものかもしれません。

 鏡もたいへんな発見なのですが、もっと衝撃的なのが、系図です。
 鏡も伝世鏡では日本最古ですが、系図も紙に書かれたものとしては、現存する日本最古のものだったのです。
だからこそ厳重な審査をへて国宝に指定されたのですが、この国宝系図について、つぎに述べます。

前ページへ 次ページへ


トップページ]>[歴史のページ]>[誤解と曲解の女帝問題]