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卑彌呼35(記紀以外の百襲姫命5)

「秘記として他見を許さず。海神の胎内に鎮め」という指示はじつに厳密に守られてきたらしく、著名な古文書学者もその内容を知らないできました。
 たとえば、水戸黄門で知られる徳川光圀が有名な『大日本史』の編纂を計画したとき、この『勘注系図』の存在を知って見たいと申し入れましたが、《籠神社》では丁重に断ったといわれています。
 とうじの日本では将軍につぐ権力者だった光圀の依頼を断るほど、厳重に秘密を守ったのです。
 もちろん噂はかなり昔からあり、何人かの学者が断片的には報告してはいました。そのときの宮司さんに依頼して垣間見たのでしょう。しかし全面的な研究報告は、昭和五十年代末になるまでありませんでしたし、全文の公開はやっと平成四年になってからのことでした。
 昭和も後半になれば、「秘記として他見を許さず」という先祖の戒めも時効でしょうし、もはや朝廷に睨まれるとまずいという話もありません。そこで第八十一代宮司の海部穀定氏が公開を決意し、松下幸之助の肝いりでできた神道大系編纂会が、神道大系の第一次百二十巻の中に活字化して入れたのです。

 この『勘注系図』は代々書写されて保存され、現在国宝になっているものは、江戸時代初期の写本です。この写本の残りかたや古さも、『記紀』に匹敵しています。
『記紀』の写本も、現存する完全なものはやはり江戸初期に写されたものです。

 以下、この注目すべき史書『勘注系図』の内容について、略述します。
《籠神社》の主祭神で始祖の彦火明命は、またの名を天火明命、さらにまたの名をお馴染みの〈饒速日命〉といい、その家系はつぎのとおりです。

 天照大神―天押穗耳命――長男・瓊瓊杵尊(*1)
    ――二男・杵火火置瀬命
    ――三男・彦火明命(*2)
    ――四男・彦火耳命(*3)
(*1)『記紀』では日向に天孫降臨し、神武天皇の曾祖父になった神。
   『日本書紀』ではこの兄弟の長男ではなく父。
(*2)『古事記』と『日本書紀』の一書では長男。
   『古事記』では天火明命、『日本書紀』では火明命と記述。
   『先代旧事本紀』では天照國照彦天火明櫛玉饒速日尊で亦名が饒速日命や天火明命です。
(*3)『日本書紀』では彦火火出見尊と記述。

 この系図は、『古事記』や『日本書紀』や『日本書紀』の一書や『先代旧事本紀』と大まかには一致し、こまかな点では違っています。

 さて、ここから興味深い神話が展開されます。
〈瓊瓊杵尊〉が「三種の神器」を〈天照大神〉から授けられて日向の高千穂に降臨したとき、(たぶんその直前に)同じ天孫の〈饒速日命〉はやはり天津神から息津鏡・辺津鏡に弓矢を添えた神器を授かって丹波国――のちに丹後国になった地域――に降臨し、農業の神で〈天照大神〉の姪にあたる〈豐受大神〉を祀りました。
(『先代旧事本紀』では同じ〈饒速日命〉が「十種の神宝」を授かって河内に降臨しますが、その神宝の筆頭はやはり息津鏡・辺津鏡です)

 降臨した地点――瓊瓊杵尊の高千穂峰に相当する地点――は、《籠神社》から二十キロほど先にある息津島で、いまの名は冠島と沓島です。
 この二島は有名な雪舟の「天橋立図」の手前部分に大きく描かれています。実際には遠方で見えないのですが、重要な伝説の島であることを知っていたので、位置をずらして大きく描いたのでしょう。
 またこのとき授かった神器の鏡が、本殿に伝世された、先の二面の「神鏡(息津鏡と辺津鏡)」です。

 これは驚異的なことです。
『記紀』より古い伝承を残すとされる古文書が神社に秘匿され、その中の神話に出てくる「神鏡」そのものが同じ神社の本殿に伝世され、考古学者によって二千年前後も昔の鏡であることが実証されているのです!

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