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卑彌呼37(記紀以外の百襲姫命7)

 つぎにいよいよ、〈倭迹迹日百襲姫命〉について記します。
『縦系図』には消されていて『勘注系図』には書かれている時代の重要人物には〈豐鍬入姫命〉や〈倭姫命〉などたくさんありますが、とくに注目すべきなのが〈倭迹迹日百襲姫命〉です。
〈饒速日命〉の系図2の子孫の第九世意富那比命の代に、つぎの兄弟姉妹がならんでいます。

乙彦命(長男)
日女命(長女)
玉勝山背根子命(二男)
若津保命(三男)
置津世襲命(四男/世襲足媛の兄と同名)
意富那比命(五男/第九世)
葛木高千名姫命(二女)
(括弧のなかは系図の右ほど年長と仮定した仮の長幼ですが、末子相続が想像されます)

この兄弟姉妹はそれぞれ別名をもっていて、それを『記紀』と照合すると面白いのですが、とくに驚くのは長女・日女命の別名です。
一云、亦名といった書き方で記されている名前を列挙してみます。

主要名・・・〈日女命〉
亦名・・・・〈倭迹迹日百襲姫命〉
亦名・・・・〈神大市姫命〉
亦名・・・・〈中津姫命〉
一云・・・・〈日神〉
一云・・・・〈千々速日女命〉

 じつに興味津々たる名前がならんでいますので、この各名について『記紀』との関係を調べてみましょう。
(一)〈日女命〉
 この『勘注系図』で主要名として記されていますが、もちろんこれは「太陽の妻である高貴な人物」という意味をもつ「ヒメミコト」を本来的な文字であらわしたもので、諱をXXXとすれば〈XXX日女命〉と書くべき尊称です。
それがたんに〈日女命〉としているのは、この女性が尊称だけで誰にでもわかるほど著名で別格の偉人だったことを意味しています。
 いま天皇といえば今上天皇陛下をあらわし、皇后といえば美智子皇后陛下を意味するのと同じですし、ある会社で社長といえば、実名はなくともその企業のトップを意味するのと同様です。
 さらに、〈天照大神〉のことを、単に〈日女命〉と書く場合もあります。
(二)〈倭迹迹日百襲姫命〉
 いうまでもなく、これまでずっと説明してきた崇神天皇を助けた神子(巫女)で、〈卑彌呼〉の有力候補です。世代的にも崇神天皇紀と矛盾していません。
(三)〈神大市姫命〉
〈倭迹迹日百襲姫命〉の《箸墓》の場所の古代の名が大市であることが『日本書紀』に記されており、宮内庁の正式の名も《大市墓》なので、この名は謚号として理解できる別名ですが、頭に「神」がつけられている点が印象的です。
 神代を除くと、こういう種類の名はほとんど見られません。神代では素戔嗚尊が出雲で娶った姫の名として神大市比賣がでてきますが、これは神の娘です。つまりこの〈神大市姫命〉も、じつに神代的な名なのです。
(四)〈中津姫命〉
 この名は『記紀』には探せませんでしたが、水流や港を連想させ、水郷だったと想像されている《大和》の貴人にふさわしい名です。
(五)〈日神〉
 これは〈日女命〉にもまして容易ならぬ別名です。
 とうぜんながら日神祭祀・太陽祭祀を連想する名で、「太陽神」という意味です。
 すでに記しましたが、歴代天皇名ですら、「神」なる文字が使用されているのは神武天皇、崇神天皇、應神天皇の三天皇のみで、また皇后では〈神功皇后〉のみです。
 それが、天皇でも皇后でもない女性に対して、「神」にさらに「日」という太陽を意味する言葉がついています。
「太陽の神」という〈天照大神〉なみの別格の尊称を与えているのです。
(六)〈千々速日女命〉
 この名も高貴な印象を与えますが、『古事記』において、孝靈天皇の皇女で〈倭迹迹日百襲姫命〉とは母違いの姉妹として出てくる千々速比賣命と同名です。
 ですから錯覚があったのかもしれませんが、逆に『古事記』のほうが違っていて〈倭迹迹日百襲姫命〉と同一人物なのかもしれません。
 文字で注意をひくのは、姫や比賣ではなく日女という特別な文字をあてていることです。
 また、「千々速」が〈百襲姫命〉の『日本書紀』の別名にある「迹速」を連想させることも注意をひきます。本居宣長によれば、千々は迹々と同じですし、速は日だという説がありますから、〈倭迹迹日百襲姫命〉の名の別の書き方なのかもしれません。

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