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卑彌呼38(記紀以外の百襲姫命8)

 これらの『勘注系図』における〈倭迹迹日百襲姫命〉の別名は、おどろくほど〈天照大神〉に似ています。
『日本書紀』においては、
「(伊弉諾尊・伊弉冉尊が)是に共に日神を生む。大日靈女貴と号す。一書に天照大神という」
 ――とあります。
 つまり伊弉諾尊・伊弉冉尊が生んだのが〈日神〉で、その正式名が〈大日靈女貴〉、ある本では〈天照大神〉だというわけです。また『万葉集』などでは〈天照大神〉を〈日女命〉とも記しています。
 ですから、一般名を除いて、〈倭迹迹日百襲姫命〉の別名と対照してならべますと、

〈天照大神〉 ←→〈倭迹迹日百襲姫命〉
〈大日靈女貴〉←→ 〈日女命〉
〈日女命〉  ←→ 〈日女命〉
〈日神〉   ←→ 〈日神〉

――となります。
 つまり、『勘注系図』における〈倭迹迹日百襲姫命〉の別名は、『日本書紀』における〈天照大神〉の別名とそっくりなのです。
〈天照大神〉が日神祭祀の対象であり、日神すなわち太陽神そのものだったことは明かですが、それと同じ名をつけられた〈倭迹迹日百襲姫命〉もまた、『勘注系図』の編者にとっては、太陽の妻(日女命)であるとともに、日神であり、したがって太陽神でもあり、たぶん日神祭祀を司った貴人として記憶されていたのでしょう。
これはきわめて重要な対照関係です。

 いずれにせよ、『日本書紀』とこの『勘注系図』を合わせた〈倭迹迹日百襲姫命〉の別名は、「一皇女にしては、偉大すぎる」のです。

 つぎに、他の兄弟姉妹について簡単に調べます。

『勘注系図』にある〈百襲姫命〉の妹は葛木高千名姫ですが、これは『日本書紀』にある妹の倭迹迹稚屋姫命や『古事記』にある妹の倭飛羽矢若屋比賣とはかなり違っているので、別の伝承なのでしょう。
 男の兄弟も『記紀』と一致していないことから、〈倭迹迹日百襲姫命〉の兄弟姉妹について、『記紀』とはかなり違った饒速日系独自の伝承があったことが推定できます。

 ところで葛木高千名姫という名は『古事記』の第八代孝元天皇のところに出ています。すなわち孝元天皇の皇子のひとりの比古布都押之信命が尾張連の祖の意富那毘の妹の葛城之高千那毘賣を娶った――とあるのです。
これが同一女性とすると、〈倭迹迹日百襲姫命〉の妹が天皇の皇子と結婚したことになります。

また『勘注系図』でも『先代旧事本紀』でもこの姫の別名は大海姫とされ、だとしますと、崇神天皇の妃ということになります。
 もしそうだとしますと、崇神天皇は〈倭迹迹日百襲姫命〉の「義理の弟」ということになり、ズバリ『魏志倭人伝』にある「男弟」そのものになってしまいます!

『魏志倭人伝』においては、〈卑彌呼〉の神託を外部に伝えて実務を行うのは男弟ということになっています。
 これまでの「《邪馬台国》大和説」では、この男弟を崇神天皇とする意見が古くからありました。
 対応してみますと、

〈卑彌呼〉と〈男弟〉の関係は、「弟/姉」です。
〈倭迹迹日百襲姫命〉と〈崇神天皇〉の関係は、「甥の子/大叔母」です。
(本居宣長の説では「甥/叔母」でもあります)
 ところが『勘注系図』のこの注記が正しいとしますと、
〈倭迹迹日百襲姫命〉と〈崇神天皇〉の関係は、「義理弟/義理姉」となります。
 つまり、じつに、『魏志倭人伝』と同じになってしまうのです!

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