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卑彌呼39(記紀以外の百襲姫命9)

 以上が『勘注系図』における〈倭迹迹日百襲姫命〉ですが、では、『先代旧事本紀』ではどうなのでしょうか。
 ちょっと見ますと無いように思えるのですが、じつは、同じ〈日女命〉がちゃんと記されているのです。
『先代旧事本紀』の尾張氏系図の部分は、〈饒速日命〉から数えて十三世くらいまでは『勘注系図』とよく対応しており、海部氏は物部とは遠い親戚ですが、尾張とは近い親戚であることがわかるのですが、〈日女命〉の部分もよく対応しており、左を『先代旧事本紀』、右を『勘注系図』としますと、

弟彦命     ←→ 乙彦命
日女命     ←→ 日女命
玉勝山代根古命 ←→ 玉勝山背根子命
若都保命    ←→ 若津保命
置部與曽命   ←→ 置津世襲命
彦與曽命    ←→ 意富那比命?
否井命     ←→ ?
?       ←→ 葛木高千名姫命
――のようになっています。

〈日女命〉の別名については、『勘注系図』のようなくわしい説明がありませんが、それは朝廷にも見せる公開の史料だったからでしょう。見られても文句を言われないように、説明は省いたと考えられます。
 とにかく、「ヒメミコト」のみで通じる偉大な女性が崇神天皇の時代前後に活躍していたという記憶が、『勘注系図』の編者だけではなく、『先代旧事本紀』の編纂者にもあったことは間違いありません。
 そしてその〈日女命〉が〈倭迹迹日百襲姫命〉である可能性はきわめて高く、さらに当時のシナの使者によって〈卑彌呼〉と音写された可能性もまたきわめて高いでしょう。
『勘注系図』も『先代旧事本紀』も〈饒速日命〉を祖と考える人たちが編纂したことから、〈倭迹迹日百襲姫命〉への崇拝は〈饒速日命〉と関係しており、その系列の氏族に伝承されていたと推理できます。
『記紀』のほうは、あるていどは〈饒速日命〉系の話を入れたものの、偉大なこの女性は三輪や饒速日命の血も持った天皇直系とし、あくまでも天皇の補助者として記しました。
 そのことに不満を持った物部系や尾張海部系の人たちが、公開の書ではあいまいな形で、厳秘の書では明確に、『記紀』とは異なる自分たちの伝承を記したのでしょう。

 憶測を重ねるのはいけませんが、私としては、〈倭迹迹日百襲姫命〉は崇神天皇の直前の女帝(女性天皇)だった可能性がとても高いと考えております。

 ところで、みかけ上は『記紀』の百襲姫命と『勘注系図』や『先代旧事本紀』の百襲姫命とでは別の系図上の女性のようです。
 しかし、互いに密接な婚姻関係を結んでいますので、同じ偉大な女帝を別の角度から見たにすぎないのかもしれません。
 また、偉大な女帝を自分たちの先祖だと、互いに主張しあったのかもしれません。
 まちがいないのは、『記紀』の百襲姫命が、大和朝廷の血とともに三輪一族と〈饒速日命〉一族の血をひいているとされている事です。
 つまり、大和朝廷としても、三輪豪族と饒速日命一族と双方の主張を、部分的にではあっても取り入れざるをえないかったほど、この二つの豪族の血を濃厚にひいた重要な女性が〈倭迹迹日百襲姫命〉だったということです。

 以上のような文献史学的な考察と、最近の考古学の成果(とくに平成十年以後の成果)によって、ごく自然のうちに、「《邪馬台国》大和説」と「〈卑彌呼〉=〈倭迹迹日百襲姫命〉説」が出てくるのですが、私としましては、断言はいたしません。
 やはり《箸墓》やその周辺の遺跡から、あと一つか二つ、決定的な証拠が出てこないと、断言するのは非科学的だと思っております。
 多くの考古学者が、ぎりぎり近い話をしながらも、断定していないのは、良心的な学者として当然のことだろうと思います。

 とりあえずこれで、普通の人名辞典に出てくる〈卑彌呼〉の三人の候補の話――といっても〈倭迹迹日百襲姫命〉が圧倒的でしたが――を終わります。

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