[トップページ]>[歴史のページ]>[《伊勢神宮》と式年遷宮]
001. 1.まえがき
002. 2.内宮・外宮の御正殿
003. 3.宮域
4.別宮・摂末社など
004. 4.1 内宮の別宮(十所)
4.2 外宮の別宮(四所)
4.3 摂末社など
005. 5.式年遷宮の意義と歴史
5.1 式年遷宮の意義
006. 上の続き
007. 5.2 式年遷宮の歴史
008. 5.3 戦後の式年遷宮の危機
009. 6.造り替えられるものとは?
6.1 建造物
010. 6.2 御装束・神宝
011. 6.3 旧殿のその後は?
6.4 旧御装束・旧神宝のその後は?
012. 7.御遷宮祭の順序
7.1 御遷宮の祭一覧
013. 上の続き
014. 7.2 御正殿を拝むには
015. 8.通常年のお祭り
016. 9.文献
017. 上の続き
018. 付録1.《伊勢神宮》外宮のご神体について
付録1.1 疑問に思っていたこと
019. 付録1.2 神道五部書
付録1.3 神道五部書における外宮のご神体の説明
020. 付録1.4 『古事記』や『日本書紀』との関係
付録1.5 考古学的な推理
021. 付録1.6 史実の推理
022. 付録2. 「心の御柱」のこと
付録2.1 「心の御柱」の問題とは?
付録2.2 「心の御柱」についての文献
023. 上の続き
024. 上の続き
025. 付録3. 参拝者数などの変遷
付録3.1《伊勢神宮》の参拝者数の変遷
026. 付録3.2 神宮大麻の頒布数の変遷
027. 付録3.3《伊勢神宮》への修学旅行数の変遷
028. 付録4. 第六十二回式年遷宮(平成二十五年)
028. おわりに
《伊勢神宮》と式年遷宮20
◆◆◆ 付録1.4 『古事記』や『日本書紀』との関係 ◆◆◆
◎『古事記』との関係・・・
天孫降臨の箇所に、いわゆる「三種の神器」だけでなく、〈豊受大神〉のご神体もともに天下ったように読める記述がありますから、これを基礎にして解釈したのが、昭和三年の『神宮要綱』の記事――
「ずっと皇居にあり、「八咫鏡」とともに吉佐宮(籠神社)に遷り、しばらくはそのまま留まって、雄略の御代に伊勢に遷ったという説」
――だと思います。
◎『日本書紀』との関係・・・
神代の別説(一書の2)に、国常立尊が天鏡尊を生み、その曾孫が伊弉諾尊である――とありますが、これを後世になって発展させて物語をつくったのが、『神道五部書』の話らしいということです。
◆◆◆ 付録1.5 考古学的な推理 ◆◆◆
《伊勢神宮》のご神体は、内宮であろうと外宮であろうと、誰も見ることは許されません。
内宮のご神体については、『卑彌呼と日本書紀』や『「三種の神器」の心』に記しましたように、「八咫鏡」を奉安する寝具を新しくする行事のときに(おそらくは神嘗祭のときに)神職が眼をつぶって触ってみた感触の記録があります。
それによりますと、
「直径が二十センチほどの凸面鏡で、中心に紐を通す輪がついており、裏には同心状の唐草模様のような模様があった」
――となっています。
この、寝具にくるまれた「八咫鏡」を奉安する容器のことは、前記のように「御樋代」といって、
深さ・・外寸40センチ/内寸25センチ
直径・・外径60センチ/内径50センチ
ほどの大きさです。
つまり寸法はほぼ合っております。
さて、これは内宮のものですが、じつは、外宮においても、式年遷宮のときに、まったく同じ形の同じ寸法のものが造られるのです。
このことから、外宮のご神体も、内宮のご神体「八咫鏡」と、大略同じ寸法形状のお鏡ではないか――と想像されるわけです。
すくなくとも、寝具にくるんだ状態で「御樋代」に十分に入る寸法にちがいない、というわけです。
ですから、たぶん、内宮のお鏡に似た大きさと形状の紀元前後の鏡なのでしょう。
〈豊受大神〉が雄略朝まで鎮座していた丹後からは、ひじょうに古い遺跡がたくさん発見されて、もちろん鏡も発掘されていますし、《籠神社》には、紀元前の鏡まで伝世されていますから、崇神天皇の時代には鏡の製造も輸入も盛んになされていたと思います。
そういう鏡が、〈豊受大神〉のご神体として祭られていたのだろうと、推理できます。
ひょっとしたら、大和朝廷の先祖から(たとえば卑弥呼から!?)贈られたのかもしれませんが・・・。
[つづく]