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日露戦争時の無電望楼折衝5

◆◆◆ 11.むすび ◆◆◆

 以上は、先見性がなく事勿れ主義で国益を損ねる外務省の体質は日露戦争の前からあったのだ――という近代史の事例です。

 南京大虐殺の記念館が無数にできても抗議ひとつしない日本外務省の萌芽を見る思いです。

『国際通信の日本史』(東海大学)にも書きましたが、戦前戦中も、ロシアを刺激したくない――という外務省の弱腰が、日本の国際通信の植民地状態からの離脱を大幅に遅らせたと思います。

[戦争になって外務省が忙しくて通信関係の対外折衝に出席しなくなった時代になって、はじめて、遞信省の対外折衝がうまくいくようになった――という皮肉な話が、遞信省側の史料に記録されています]

 この事件から多くの教訓が得られますが、おそらく川口外務大臣などは、まったく無関心だと思います。

 オロモルフが何か言っても、ごまめの歯ぎしりです。
 情けない!


[日本の名誉のために付記。
 外務官僚ではありませんが、アメリカ世論を日本の味方につけるために、獅子奮迅の活躍をした人物がいました。金子堅太郎や高峰譲吉です。このような人物の活躍が日本を救いました。戦費調達のために心血を注いだ高橋是清もそうです]

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