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「三種の神器」の心7

[承前]

 さて、崇神天皇の御宇に「神鏡」と「神剣」が神社に奉斎されたわけですが、このとき、別御霊(みたまわけ)すなわち御分霊として似た鏡と剣が奉製され、それを皇宮に奉安することになりました。
 したがってそれ以後、皇宮には、新たにつくられた「神鏡」と「神剣」と、そして元来の「神璽」とが、奉斎されることになったわけです。
 これもやはり「三種の神器」と呼ばれて、きわめて重要視されてきました。
 天皇が即位なさるときに継承される神器のうち「神鏡」と「神剣」は、御分霊のほうです。

 別御霊が奉製されたときの伝承は『古語拾遺』に記されております。

「磯城の瑞垣の朝に至りて、漸に神の威を畏りて、殿を同くしたまふに安からず。故、更に斎部氏をして石凝姥神が裔・天目一箇神が裔の二氏を率いて、更に鏡を鋳、剣を造らしめて、護の御璽と為す。是、今踐祚す日に、献る神璽の鏡・剣なり。仍りて、倭の笠縫邑に就きて、殊に磯城の神△(ひもろき)を立てて、天照大神及草薙剣を遷し奉りて、皇女豊鍬入姫命をして斎ひ奉らしむ」
(難しい漢字は便宜的な使い方をしております。以下同様)

 このことを、巖垣松苗は幕末のベストセラー『國史略』においてつぎのように表現しています。

「初め神祖、神寶を瓊瓊杵尊に賜ひて以来十世、牀を同じくして起臥し、未だ嘗て須臾も離れざるなり。是に至りて褻涜(なれけがすこと)を懼れ、剣鏡を模造して御牀に置き、而して皇女豊鍬入姫命に命じ、斎戒して眞寶を載せて奉祀せしむ」

 以後、説明の便宜上、

◎皇宮に奉安された「三種の神器」を「神鏡」「神剣」「神璽」
 ――と記し、
◎伊勢神宮と熱田神宮に奉斎された神器を「八咫鏡」「草薙剣」
 ――と呼ぶことにいたします。

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