01.一 まえがき
02. 上記の続き
03.二 「三種の神器」の由緒
04. 上記の続き
05.三 「三種の神器」の神社への奉斎
06. 上記の続き
07. 上記の続き
08.四 「三種の神器」の皇居における奉安の場所
09.五 剣璽等承継の儀
10. 上記の続き
11.六 熱田神宮における「草薙剣」の危機
12. 上記の続き
13. 上記の続き
14.七 伊勢神宮における「八咫鏡」の危機
15. 上記の続き
16.八 「三種の神器」の実体
17. 上記の続き
18. 上記の続き
19. 上記の続き
20.九 皇居内の「三種の神器」の苦難
21. 上記の続き
22. 上記の続き
23. 上記の続き
24. 上記の続き
25. 上記の続き
26. 上記の続き
27. 上記の続き
28.十 「三種の神器」の精神的な意味
29. 上記の続き
30. 上記の続き
31.十一 国民の宝としての「三種の神器」および補足
32.十二 まとめ
33. 上記の続き
「三種の神器」の心7
[承前]
さて、崇神天皇の御宇に「神鏡」と「神剣」が神社に奉斎されたわけですが、このとき、別御霊(みたまわけ)すなわち御分霊として似た鏡と剣が奉製され、それを皇宮に奉安することになりました。
したがってそれ以後、皇宮には、新たにつくられた「神鏡」と「神剣」と、そして元来の「神璽」とが、奉斎されることになったわけです。
これもやはり「三種の神器」と呼ばれて、きわめて重要視されてきました。
天皇が即位なさるときに継承される神器のうち「神鏡」と「神剣」は、御分霊のほうです。
別御霊が奉製されたときの伝承は『古語拾遺』に記されております。
「磯城の瑞垣の朝に至りて、漸に神の威を畏りて、殿を同くしたまふに安からず。故、更に斎部氏をして石凝姥神が裔・天目一箇神が裔の二氏を率いて、更に鏡を鋳、剣を造らしめて、護の御璽と為す。是、今踐祚す日に、献る神璽の鏡・剣なり。仍りて、倭の笠縫邑に就きて、殊に磯城の神△(ひもろき)を立てて、天照大神及草薙剣を遷し奉りて、皇女豊鍬入姫命をして斎ひ奉らしむ」
(難しい漢字は便宜的な使い方をしております。以下同様)
このことを、巖垣松苗は幕末のベストセラー『國史略』においてつぎのように表現しています。
「初め神祖、神寶を瓊瓊杵尊に賜ひて以来十世、牀を同じくして起臥し、未だ嘗て須臾も離れざるなり。是に至りて褻涜(なれけがすこと)を懼れ、剣鏡を模造して御牀に置き、而して皇女豊鍬入姫命に命じ、斎戒して眞寶を載せて奉祀せしむ」
以後、説明の便宜上、
◎皇宮に奉安された「三種の神器」を「神鏡」「神剣」「神璽」
――と記し、
◎伊勢神宮と熱田神宮に奉斎された神器を「八咫鏡」「草薙剣」
――と呼ぶことにいたします。