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「三種の神器」の心12

[承前]

〔二〕
 新羅の密偵によるこの事件は朝廷でも大問題となり、事故再発を防ぐために「草薙剣」を皇居に置くことになりました。
 しかし天武天皇のご病気の原因がこのことだとの説が出て、さらに神宮側の懇望もあって、天武十三年(西暦六八六年)に返却がきまり、その年の十二月に熱田神宮に戻りました。

〔三〕
 熱田神宮の火事は何度もあったようですが、鎌倉時代の西暦一二九〇年に社殿が焼けたとき、火のなかから「草薙剣」を助け出す様子を、ここで奉仕していた貴人の娘が日記に書き残しております。

〔四〕
 江戸も幕末になった西暦一八三九年に、賊が神社に入って「草薙剣」を奪って逃げました。賊はただちに捕らえられ、剣は無事でしたが、これに懲りて神殿を改造しました。

〔五〕
 大東亜戦争の末期になった昭和二十年の三月と五月、東京大空襲と同じ時期に、焼夷弾によって神域に大被害が出、本殿の主部だけがかろうじて残りました。
 このころから神社をねらい打ちに爆撃するという蛮行がなされだしましたので、本殿を解体して隠しました。
 それから岐阜県の神社の境内に地下の熱田神宮をつくるという計画ができましたが、これは実行されないうちに終戦となりました。
 米軍の進駐にさいしては、万一の略奪を考えて、「草薙剣」を飛騨の水無神社に隠し、仮殿をたてて奉斎しました。

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