01.一 まえがき
02. 上記の続き
03.二 「三種の神器」の由緒
04. 上記の続き
05.三 「三種の神器」の神社への奉斎
06. 上記の続き
07. 上記の続き
08.四 「三種の神器」の皇居における奉安の場所
09.五 剣璽等承継の儀
10. 上記の続き
11.六 熱田神宮における「草薙剣」の危機
12. 上記の続き
13. 上記の続き
14.七 伊勢神宮における「八咫鏡」の危機
15. 上記の続き
16.八 「三種の神器」の実体
17. 上記の続き
18. 上記の続き
19. 上記の続き
20.九 皇居内の「三種の神器」の苦難
21. 上記の続き
22. 上記の続き
23. 上記の続き
24. 上記の続き
25. 上記の続き
26. 上記の続き
27. 上記の続き
28.十 「三種の神器」の精神的な意味
29. 上記の続き
30. 上記の続き
31.十一 国民の宝としての「三種の神器」および補足
32.十二 まとめ
33. 上記の続き
「三種の神器」の心14
◆◆◆ 七 伊勢神宮における「八咫鏡」の危機◆◆◆
一方《伊勢神宮》のほうは、さいわい熱田神宮ほどの混乱はなかったようですが、それでも皇室の力が弱まった時期には、遷宮もままならず、正殿も古びてしまって危機に瀕した時期もありました。
「桓武天皇の御宇にあった放火窃盗事件」
「平安期における御正殿への乱入事件」
「室町後期から安土桃山にかけての百年以上の遷宮中断」
・・・などが知られています。
(この中断を救って式年遷宮を再開させたのが、伊勢神宮近くの仏寺の尼僧たちの活躍であったことは、あまり知られておりません)
これらの苦難の間も「八咫鏡」は大切に守られてきましたが、意外な危機もありました。
第二十一代の雄略天皇の皇女の稚足姫は《伊勢神宮》の斎王として仕えていました。
伊勢斎王は独身の皇女がつとめる習わしでしたが、雄略天皇三年に、男女関係で讒言があって妊娠していると言われ、悲嘆した皇女は、五十鈴川の川上に「八咫鏡」を埋めて自害してしまいました。
必死で探しているうちに、ある場所に虹がかかったので掘ったところ、「八咫鏡」が埋められていた――という伝承があります。
(虹というのは神秘性を強調するための修辞です)
これは『日本書紀』にかなり詳しく記されており、当時の大事件だったことがわかります。
実年代は推定五世紀後半です。