01.一 まえがき
02. 上記の続き
03.二 「三種の神器」の由緒
04. 上記の続き
05.三 「三種の神器」の神社への奉斎
06. 上記の続き
07. 上記の続き
08.四 「三種の神器」の皇居における奉安の場所
09.五 剣璽等承継の儀
10. 上記の続き
11.六 熱田神宮における「草薙剣」の危機
12. 上記の続き
13. 上記の続き
14.七 伊勢神宮における「八咫鏡」の危機
15. 上記の続き
16.八 「三種の神器」の実体
17. 上記の続き
18. 上記の続き
19. 上記の続き
20.九 皇居内の「三種の神器」の苦難
21. 上記の続き
22. 上記の続き
23. 上記の続き
24. 上記の続き
25. 上記の続き
26. 上記の続き
27. 上記の続き
28.十 「三種の神器」の精神的な意味
29. 上記の続き
30. 上記の続き
31.十一 国民の宝としての「三種の神器」および補足
32.十二 まとめ
33. 上記の続き
「三種の神器」の心19
[承前]
(注:鉄ではないという事は、色彩の記録からも分かりますが、楠木の箱に入っていたことでも推量できます。楠木だと鉄では錆が早くて持たないと思われるからです)
(なお宮中における「神剣」も、今上天皇の承継の儀におけるお写真に容器が写っており、その大きさから、似た寸法形状だと想像されます)
〈三〉「八坂瓊勾玉」の実体
現在皇居に奉安されている「八坂瓊曲玉」についても、次の資料が残されています。
源平合戦の最終局面で、安徳天皇が壇ノ浦で入水なさったとき、「八坂瓊勾玉」は比較的軽かったために、容器が海面に浮いて、源氏の兵がこれを拾い上げました。
そのとき、何も知らない兵士が中を覗いている有様を、女官の一人が見て、それが伝えられて記録されました。
それによりますと、
「容器は二段になっており、各段に四つの珠玉があった」
――そうです。
つまり計八つの珠玉よりなっていることになります。「八坂瓊曲玉」という名前どおりです。
もともと「八坂瓊勾玉」は紐でつないで首にかけるものですが、紐はすぐに消滅してしまうので、勾玉のみが奉安されていたのでしょう。
(高森明勅氏の著作より)
もちろん「三種の神器」の科学的な意味での本当のことはわかりませんし、考古学的に詮索すべき事でもありませんが、
弥生〜古墳時代の遺跡から多数出土する鏡、剣、勾玉を代表する神宝であることはまちがいありません。