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「三種の神器」の心20

◆◆◆ 九 皇居内の「三種の神器」の苦難◆◆◆

 先に伊勢神宮と熱田神宮の神器の苦難を記しましたが、皇居内の神器は、皇統の証であるため、南北朝時代など、危機一髪の事件が記録されております。
 政争や戦乱にも巻き込まれて、神宮の神器にくらべて、さらに苦難の連続だったと言えるでしょう。
 ざっと列記してみます。

〈一〉
「神鏡」は、
「村上天皇の天徳四年九月二十三日(西暦九六〇年)」
「一條天皇の寛弘二年十一月十五日(西暦一〇〇五年)」
「後朱雀天皇の長久元年九月九日(西暦一〇四〇年)」
 ・・・など平安中期に三度も火災にあって被害をうけ、そのつど修復しましたが、灰燼とはならず、かろうじて形を保ちました。
 ただしこの時代に再度新しい「神鏡」を造ったとも解釈でき、そのため、現在の皇居賢所に奉斎されている「神鏡」には、推定三世紀の第十代崇神天皇の御宇の新造を修復したものと、平安期に新造したものと、二面がある――という話が書かれた本もあります。

 皇居の火災はその後もあり、
「鳥羽天皇の天永三年(一一一二年)」
「後小松天皇の応永八年(一四〇一年)」
「後土御門天皇の文明十一年(一四七九年)」
「霊元天皇の寛文十三年(一六七三年)」
「光格天皇の天明八年(一七八八年)」
「明治天皇の明治六年(一八七三年)」
「昭和天皇の昭和二十年(一九四五年)」
 ・・・などが知られておりますが、これらのときは、幸いにして「神鏡」はご無事でありました。

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