01.一 まえがき
02. 上記の続き
03.二 「三種の神器」の由緒
04. 上記の続き
05.三 「三種の神器」の神社への奉斎
06. 上記の続き
07. 上記の続き
08.四 「三種の神器」の皇居における奉安の場所
09.五 剣璽等承継の儀
10. 上記の続き
11.六 熱田神宮における「草薙剣」の危機
12. 上記の続き
13. 上記の続き
14.七 伊勢神宮における「八咫鏡」の危機
15. 上記の続き
16.八 「三種の神器」の実体
17. 上記の続き
18. 上記の続き
19. 上記の続き
20.九 皇居内の「三種の神器」の苦難
21. 上記の続き
22. 上記の続き
23. 上記の続き
24. 上記の続き
25. 上記の続き
26. 上記の続き
27. 上記の続き
28.十 「三種の神器」の精神的な意味
29. 上記の続き
30. 上記の続き
31.十一 国民の宝としての「三種の神器」および補足
32.十二 まとめ
33. 上記の続き
「三種の神器」の心22
[承前]
この話は『平家物語』などの有名な一節になっていますが、当時の史書『吾妻鏡』にはもっと詳しい記述があります。
参考までに、源氏がどのように海に没した「神剣」を捜索したかの記録を、『吾妻鏡』から抜粋しておきます。
△元暦二年(1185年)三月
源頼朝が平家追討の弟の範頼に、「三種の神器」を確保するよう注意した記述。
平家滅亡のとき、「神鏡」「神璽」は無事だったが「神剣」が海に沈んだ記述。
(源氏の兵士が「神鏡」を開こうして目が眩んだ話や、平時忠が制止した話なども)
△元暦二年(1185年)四月
源頼朝が弟の義経に、確保した「三種の神器」を朝廷に返還するよう命令。
飛脚が義経の戦勝報告を鎌倉に届けたが、その中で失われた「神剣」を探そうとしている旨が書かれていたとの記述。
同月下旬、「神鏡」「神璽」が京都へ戻った話。義経が鎧を着て供奉したとの記述。
△元暦二年五月
頼朝の弟範頼に鎌倉から飛脚で、「神剣」を探すように指示が出たとの記述。
△文治三年(1187年)六月
厳島神社の神主に、海女を使って「神剣」を探すよう頼朝から命令が出たとの記述。
結局、いくら探しても見つからずに終わってしまいました。
いまでも瀬戸内海に沈んだ小さな金属を探すなど、至難の技ですから、無理もありません。
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