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「三種の神器」の心24

[承前]

 藤原兼實の『玉葉』(日記体の史書)は、「三種の神器」の危機の時代の詳しい記録であり、かつ、神器の精神論の先駆ともいうべき記述があって注目されます。
 後鳥羽天皇は、安徳天皇が「三種の神器」とともに西走なさったために、寿永二年(1183年)八月二十日に踐祚されたのですが、その踐祚の日の日記に、つぎのようにあります。

「不得剣璽踐祚之例希代之珍事也」
(神器なしの踐祚は例のないことである)

 また、新天皇をひろく知らせる即位の式典は元歴元年(1184年)七月二十八日になされましたが、この日がせまった同年六月二十六日に、つぎのように記されています。

「先我朝之習、以剣璽主爲國王、不待璽踐祚之例、書契以來未曾聞、然而依無止事、有立王事、天子位不空一日之故也、然而至于即位者、待剣璽之歸來、可被遂行也」
(わが朝廷では神器の主をもって君主とするのであって、神器を持たずに踐祚(*)する例は聞いたことがない。しかし、天子の位は一日も空けるべきでないので、今はやむを得ないが、即位の式典は神器が戻ってからにするべきである)
(* 踐祚は皇嗣が天皇の位を受け継ぐことであり、即位はそれを天下万民に告げる式典のことです)

 しかし、神器無しの即位の儀式をせざるをえない事態になったため、同月二十八日の日の日記に、後世注目された見解を記しています。
「不帯剣璽、即位例出來者、後代亂逆之基、只可在此事」
(神器を帯びずに即位する例が出てしまったという事は、後に世が乱れる原因になるであろう)

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