01.一 まえがき
02. 上記の続き
03.二 「三種の神器」の由緒
04. 上記の続き
05.三 「三種の神器」の神社への奉斎
06. 上記の続き
07. 上記の続き
08.四 「三種の神器」の皇居における奉安の場所
09.五 剣璽等承継の儀
10. 上記の続き
11.六 熱田神宮における「草薙剣」の危機
12. 上記の続き
13. 上記の続き
14.七 伊勢神宮における「八咫鏡」の危機
15. 上記の続き
16.八 「三種の神器」の実体
17. 上記の続き
18. 上記の続き
19. 上記の続き
20.九 皇居内の「三種の神器」の苦難
21. 上記の続き
22. 上記の続き
23. 上記の続き
24. 上記の続き
25. 上記の続き
26. 上記の続き
27. 上記の続き
28.十 「三種の神器」の精神的な意味
29. 上記の続き
30. 上記の続き
31.十一 国民の宝としての「三種の神器」および補足
32.十二 まとめ
33. 上記の続き
「三種の神器」の心24
[承前]
藤原兼實の『玉葉』(日記体の史書)は、「三種の神器」の危機の時代の詳しい記録であり、かつ、神器の精神論の先駆ともいうべき記述があって注目されます。
後鳥羽天皇は、安徳天皇が「三種の神器」とともに西走なさったために、寿永二年(1183年)八月二十日に踐祚されたのですが、その踐祚の日の日記に、つぎのようにあります。
「不得剣璽踐祚之例希代之珍事也」
(神器なしの踐祚は例のないことである)
また、新天皇をひろく知らせる即位の式典は元歴元年(1184年)七月二十八日になされましたが、この日がせまった同年六月二十六日に、つぎのように記されています。
「先我朝之習、以剣璽主爲國王、不待璽踐祚之例、書契以來未曾聞、然而依無止事、有立王事、天子位不空一日之故也、然而至于即位者、待剣璽之歸來、可被遂行也」
(わが朝廷では神器の主をもって君主とするのであって、神器を持たずに踐祚(*)する例は聞いたことがない。しかし、天子の位は一日も空けるべきでないので、今はやむを得ないが、即位の式典は神器が戻ってからにするべきである)
(* 踐祚は皇嗣が天皇の位を受け継ぐことであり、即位はそれを天下万民に告げる式典のことです)
しかし、神器無しの即位の儀式をせざるをえない事態になったため、同月二十八日の日の日記に、後世注目された見解を記しています。
「不帯剣璽、即位例出來者、後代亂逆之基、只可在此事」
(神器を帯びずに即位する例が出てしまったという事は、後に世が乱れる原因になるであろう)