トップページ]>[歴史のページ]>[「三種の神器」の心]

「三種の神器」の心26

[承前]

〈三〉
 この大事件によって「神剣」が失われてしまいましたので、それからしばらくは宮中においては、「神剣」につぐ宝剣であった清涼殿の「晝御座剣(ひのおましのつるぎ)」で代用しておりましたたが、のちに《伊勢神宮》の祭主が奉った宝剣を用いることになりました。
「晝御座剣」とは、天皇のおられる場所の守り神として重要視されていた宝剣であり、安徳天皇が西国に向かわれるとき、「三種の神器」とともにこの剣も携える予定だったのですが、周囲の人たちがあわてたため、置き忘れてしまい、皇居に残された――といわれています。

 ところがこの第二の宝剣についても、壇ノ浦の二ヶ月後の元歴二年(1185年)五月に皇居に強盗が入って盗まれるという事件が起こりました。
 幸いにして警護の武士が取り返しましたが、当時の皇宮は、強盗・殺人・放火など、惨憺たる有様で、のちに源頼朝が必死で治安回復につとめたことが知られています。

 第八十二代後鳥羽天皇、第八十三代土御門天皇のあと、第八十四代順徳天皇が承元四年十一月二十五日に即位なさいましたが、そのあとで後鳥羽上皇から《伊勢神宮》で奉製された宝剣が新天皇に奉られました。
 そしてその後の天皇は、この新たな宝剣を正式の「三種の神器」の「神剣」として継承され、それ以後これが永世的に宮中の「神剣」となりました。
 これが現在の皇居に奉安されている「神剣」です。

 したがって皇居内に現存する「三種の神器」のうち「神剣」がもっとも製作年代が新しく、十三世紀の初めです。
 つぎが推定三世紀の「神鏡」で、最古が推定二千年以上前の神話時代の作とされる「神璽」です。

前ページへ 次ページへ


トップページ]>[歴史のページ]>[「三種の神器」の心]