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「三種の神器」の心28

◆◆◆ 十 「三種の神器」の精神的な意味◆◆◆

 ここでは、「三種の神器」の精神的な意味について記すことにします。

 南北朝時代の南朝の支柱となった忠臣・北畠親房は、南朝の天皇へのご進講のために、『神皇正統記』を著しましたが、そのなかで、『記紀』の記述をもとにして、つぎのように記しております。

「・・・この三種につきたる神勅は、まさしく國を手持ちますべき道なるべし。鏡は一物をたくはへず、私の心なくして、萬象を照すに、是非善悪の姿あらはれずといふ事なし。その姿に從ひて感應するを徳とす。これ正直の本源なり。玉は柔和善順を徳とす。慈悲の本源なり。剱は剛利決斷を徳とす。智慧の本源なり。この三徳をあはせ受けずしては、天下の治まらんこと、誠に難かるべし。神勅明かにして、詞約かにむね廣し。剰へ神器にあらはし給へり。いと忝なき事にや。」

 すなわち北畠親房は、古代からの伝承をもとに、

「神鏡」・・・正直の本源(日の體)
「神璽」・・・慈悲の本源(月の精)
「神剣」・・・智慧の本源(星の氣)

 ――であると述べているのです。
 つまり天皇は「三種の神器」によって、正直と慈悲と智慧の心を承継し、その心によって統治なさるのです。
(括弧内は別の場所にある記述より)

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