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桓武天皇の生母問題4

[6 遺伝子の推理]

 以上は、桓武天皇が高貴な母親から生まれたかどうかという議論ですが、そういう貴賤問題を離れて、百済の血がどのくらい混ざっていたかも議論になります。
 正史をそのまま信じれば、母方の祖父が百済からの帰化人ですから、桓武天皇の遺伝子の1/4が百済人ということになります。

 母方の祖父がほんとうに百済から来たのか、またはその前の代に来ていたのかもよく分からず、後者の可能性が遙かに高いとは思いますが、仮に直接来たのだとしても、遺伝子は1/4です。
 ですから、桓武天皇の次の平城天皇は、(藤原家を母親とするので)1/8となり、その皇子は1/16となり、つぎは1/32となり・・・というように、どんどん百済遺伝子は薄くなって、今上天皇にいたっては、もはや計算もできないほど僅かです。

 もし仮に、七〜八世紀の百済人と日本人の遺伝子が明確に区別できるものだったとして、今上天皇の百済遺伝子のパーセントを計算してみます。
(もちろんこのような仮定は成立しませんが、仮にそうだとするわけです)

 桓武天皇は第五十代で今上天皇は第百二十五代ですから、七十五代を経ているわけですが、いろんなケースがありますので、仮に六十代を経たものとします。
 すると、オロモルフの計算に間違いがなければ、今上天皇の百済遺伝子のパーセントは、<一兆分の一>のさらに<一億分の一>ということになります。
 計算がまったく無意味なパーセンテージです。
 したがって、桓武天皇の生母の話だけを持ち出して「日本の天皇家は朝鮮系だ」と主張するほど非科学的なことはありません。

(もっと長い歴史で見れば、DNAの系統樹(混ざり方)は分からない事だらけですが、ここではとにかく、韓国の反日家が主張するような時代感覚で見ています)


[7 武寧王は日本で生まれた!]

 桓武天皇の母親・高野新笠は、潤色された系図では、百済の武寧王の末裔ということになっています。
 これはたぶん嘘ですが、それにしても、武寧王とはどういう王だったのでしょうか?
 予備知識として、『三国史記』による、当時の百済王の名を記しておきます。
 これらの信憑性には、いろいろな意見があるようです。
 実際には王であっても記録されなかった人もいるようです。
 また、前王の死去の多くが戦争や謀略であり、古代朝鮮の三国の歴史は陰惨なものがあります。

 第19代 ▽有王(西暦427年即位)
(▽=田+比)
 第20代 蓋鹵王(西暦455年即位)
 第21代 文周王(西暦475年即位)
 第22代 三斤王(西暦478年即位)
 第23代 東城王(西暦479年即位)
 第24代 武寧王(西暦501年即位)
 第25代 聖王(西暦523年即位)

 さて、問題の武寧王ですが、この王の生誕については、諸説あります。

(1)『三国史記』では――
 朝鮮の最古の史書『三国史記』(ただし日本の『記紀』よりずっと後に編纂された史書です)においては、前代の東城王の次男だったとされています。
 東城王は暴虐で嫌われて最後は暗殺されたが、この武寧王は仁政をして民心がなついた――とされています。
(この章つづく)
 

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