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桓武天皇の生母問題6

(承前)
(日本と新羅の関係について補足しますと、日本神話には、素戔嗚尊が新羅に渡ったがすぐに帰ってきたという話がありますし、『三国史記』には二世紀末に日本の女王・卑弥呼の使者が新羅に来た話があります。卑弥呼が出てくるのは『魏志倭人伝』だけでは無いのです)

 このような多くの資料から、百済の系統の遺伝子というのは、当時の日本人と無関係どころか、濃厚な近隣関係を持っていたと思われるのです。
 ですから、先に記した桓武天皇の百済遺伝子が1/4というのは、じつは、もっとずっと僅かだろうと想像されますし、また歴代皇后の遺伝子に百済系が入っていないとは限りませんから、今上天皇の百済遺伝子が1/2の60乗(!)とも言えません。
(どちらにしても馬鹿馬鹿しい話ですが・・・)


[8 渡部昇一氏の意見]

 こういう事から、同祖論なども出てくるのですが、オロモルフは渡部昇一氏の説が妥当性が高いと感じています。
 渡部昇一氏は、クレスト社の『かくて昭和史は甦る』(現在はWACの『渡部昇一の昭和史』)の日韓併合の箇所で、古代の日本と南朝鮮の関係の密接性について、概略つぎのように述べています。

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1.『三国志』の『魏志東夷伝』では、九州と朝鮮南部をともに倭国・倭人としている。つまり同じ文化に属する同一種族と見ていた。

2.日本と(任那と)百済は協力して戦ったが、日本軍は白村江で敗れたのち、多くの百済難民をつれて帰国した。これは敗戦のときに外地に進出していた多くの日本人が引き揚げてきたことと似ている。

3.日本の言語と南朝鮮の言語はよく似ていた可能性がある。(日本と違って『万葉集』のような書物が韓国には残されていないので比較はできないが)帰化した人たちがすぐに活躍しているのは、言葉が通じたからであろう。

4.王仁が日本的感性の和歌を詠んでいるのは、言葉が通じていたから、としか考えられない。

5.信仰の面でも、日本と南朝鮮は同一だった。仏教や儒教が伝来するまでの南朝鮮の宗教は日本と同じ神道であったとしか、考えられない。日本の正史にも、帰化人が帰化してすぐに日本式の神社をつくって宮司になったと書いてあるのだ。宗教が同じでなければそれは考えられない。そういう神社は今に多く残っている。

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 とくに5.は、韓国人に質問すると絶句してしまうそうです。
 つまり、「儒教や仏教が伝来するまでのあなたの国の宗教は何でしたか?」と質問すると、答えられないのだそうです。
 前記しました桓武天皇が今木大神を祭った話なども、共通した神道の伝統があったという仮定なしでは、考えにくいことです。
 

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