トップページ]>[歴史のページ]>[「三種の神器」の心]

桓武天皇の生母問題10

[付録2:〈八咫烏〉は〈三足烏〉か否かについての文献調査(1)]
(これは朝鮮問題ではありませんが、サッカーがらみで関係していますし、ちょっと奇妙な古代史問題でもありますので、オマケとして書いておきます。なお拳拳服膺さんの掲示板に出したものの一部修正です)

▼サッカーのシンボルマークの話題から、〈八咫烏〉と〈三足烏〉の関係について興味を持ちまして、同人誌に何回かにわたって、かなり長いエッセイを書きました。
 いろいろと調査してみたのですが、『〈八咫烏〉=〈三足烏〉』とする学術論文には行き当たりませんでした。
 アマチュアの方のご意見はたくさんあるのですが、学問的なレベルの高い資料は見つからなかったのです。
 以下は、私の現在の知識を短く整理してみたものです。
 もし『〈八咫烏〉=〈三足烏〉』についての学術論文がありましたら、ご教示ください。
(おそらく、鎌倉時代以降なら有ると思うのです)

▼日本サッカー協会のシンボルマークは〈三足烏〉ですが、その説明は、
「シナ伝説の太陽の中に棲む三本の脚を持ったカラス」
 ――となっています。

▼一部保守派の抗議
 これに対して、そのシンボルマークは日本神話の〈八咫烏〉なのに、日本神話の説明が無いのはけしからん――と、一部保守派の人たちが抗議していました。
 サッカー協会では、何の返事もしなかったようです。

▼オロモルフの疑問
 オロモルフはこの件につきまして、二つの疑問を持ちました。

(1)日本サッカー協会への疑問
「なぜ日本の協会なのに、わざわざシナの伝説の烏などを持ってきたのか?」

(2)抗議する保守派への疑問
「その抗議は『〈八咫烏〉=〈三足烏〉』を前提としているが、ほんとうにそうなのか?」

▼上記(2)についてのオロモルフの推理

『古事記』を読んでも『日本書紀』を読んでも、
『〈八咫烏〉=〈三足烏〉』
 ――とは書いてありませんから、保守派の抗議に疑問を持ち、あれこれ調べてみました。
 その結果としまして、すくなくとも古代においては、
『〈八咫烏〉≠〈三足烏〉』
 ――という推理をいたしました。
 なぜそのような推理をしたかといいますと、次のような六種の文献があるからです。

▼文献1(日本最古の史書類)
『古事記(712年)』
『日本書紀(720年)』
『先代旧事本紀(平安初期)』

 有名な話ですが、これらの中に、

「神武天皇が熊野で道に迷ったとき、天照大神や高木大神が〈八咫烏〉を派遣して道案内をさせます。その結果、神武一行は無事に宇陀(奈良県宇陀郡)に到着します。そのあとの闘いでも、〈八咫烏〉は天皇の指示によって活躍します。それを愛でて東征が完了したとき、天皇は〈八咫烏〉に恩賞を与えます。そしてその子孫が賀茂県主一族(京都の賀茂神社)になりました」

 ――とあります。
『日本書紀』がもっとも詳しいのですが、他の二書にも矛盾した記述はありません。

 ここで気づくのは、以下の点です。

[1]三本足の件
 これら日本最古の史書には、〈八咫烏〉が三本足であったという記述はまったくありません。もしそういう口伝が奈良時代より前からあったとしたら、それは大きな特徴ですから、かならず書いたと思います。書かれていないのは、そのような口伝が無かったということでしょう。
(太陽の中に棲むというシナ伝説の〈三足烏〉そのものは、玉蟲厨子にも(月の中らしい?)描かれていますし、古墳の壁画にもあるそうですから、かなり古くから知られていた筈です。ですから〈八咫烏〉が〈三足烏〉という伝承が古代からあれば、かならず『記紀』にそう書いたと思うのです)

[2]神秘性
 上のどの史書にも、〈八咫烏〉は神武天皇の命令によって動く配下として書かれています。もし〈三足烏〉だったとしたら、太陽に棲むのですから、天皇より上位として(神武天皇を助けた金鵄や神剣布都御魂のように)もっと神秘的に書かれる筈だと思いますが、そういう事はありません。戦争が終わったあと、天皇が〈八咫烏〉に恩賞を授けているのです。これは当然、天皇の部下としての扱いです。

[3]人間であること
 賀茂県主という豪族の先祖と記されていますが、いくら古代人でも執筆者は学者ですから、烏から人が生まれると信じていた筈はありません。ですからこれは、あくまでも、豪族の先祖集団の活躍を神話的に表現したものと思われます。
 

前ページへ 次ページへ


トップページ]>[歴史のページ]>[「三種の神器」の心]