01.1 天皇陛下の御発言
2 光仁天皇の即位の謎
02.3 高野新笠(たかののにいがさ)出自の謎
4 英雄・桓武天皇の野心
03.5 母親・高野新笠の血統潤色
04.6 遺伝子の推理
7 武寧王は日本で生まれた!
05. 上記の続き
06. 上記の続き
8 渡部昇一氏の意見
07.9 現在につながる韓国/朝鮮の歴史とは?
10 むすび
付録1:
08.対馬を狙う韓国の野望
09. 上記の続き
付録2:
10.〈八咫烏〉は〈三足烏〉か否かについての文献調査(1)
11.〈八咫烏〉は〈三足烏〉か否かについての文献調査(2)
12.〈八咫烏〉は〈三足烏〉か否かについての文献調査(3)
本文への補遺
13.(1)『神皇正統記』に見る桓武天皇の事績
14.(2)若い人に推薦できる『日本書紀』の現代語訳が見つからない悩み
その他
15.三足烏補遺
桓武天皇の生母問題11
[付録2:〈八咫烏〉は〈三足烏〉か否かについての文献調査(2)]
▼文献2
『八咫烏神社(705年創建)由緒書』
この神社は、『続日本紀』によりますと、文武天皇の慶雲二年九月(705年)に、創建されました。705年といいますと、『古事記』の成立より前で、ひじょうに古い神社であることがわかります。
正史の『続日本紀』に記されているほどですから、由緒正しく格式の高い神社で、延喜式内社です。
場所は、〈八咫烏〉が活躍した奈良県宇陀郡です。
この神社の由緒書に、概略次のようにあります(玄松子の記憶より)。
「土地の豪族の武角身命が、黒い衣をまとって木から木へと飛び移りながら神武天皇をご案内した。天皇はその姿をごらんになって、(まるで大きなカラスのように見えたので)〈八咫烏〉という称号をおつけになった。『八咫烏神社』の祭神はこの武角身命である。その子孫は賀茂県主である。当神社の絵様には〈三足烏〉を使っている」
つまり、〈八咫烏〉とは黒い衣を着て道案内をした豪族につけられた称号(綽名)である――としているのです。ですからもちろん人間で、かつ神武天皇の部下です。
そして、その故事とは関連なしに、〈三足烏〉を神社のマークにしています。
この由緒は、次の文献3から来たのかもしれませんが、少なくとも創建以来の口伝と矛盾するような事は書かないでしょうから、これに近い伝承があったのでしょう。
また、〈三足烏〉は、デザインとして、(たぶん)鎌倉時代以降に出来たのではないか――と思います。
黒い衣装の土地の豪族の足が三本あった筈はありませんから・・・!
(有名な熊野三山や上下賀茂社においても、マークとしての〈三足烏〉はあっても、由緒譚の中には無いようです)
▼文献3
『新撰姓氏録(万多親王等/815年)』
これは著名な豪族たちの由来などを集めた膨大な資料集で、815年にできました。現在残されているのは、全部ではないそうですが、それでも膨大です。
そしてその中に、賀茂県主もあります。
そこには、次のように記されています。
「鴨縣主、賀茂縣主同祖、神日本磐余彦天皇欲向中洲之時、山中嶮絶、跋渉失路、於是神魂命孫鴨武津之身命、化如大鳥翔飛、奉導遂達中洲、時天皇喜其有功、特厚褒賞、天八咫烏之號、從此始也」
この文章も、〈八咫烏〉が神武天皇を助けた豪族に与えられた称号であることを示しています。「特厚褒賞」で分かりますように天皇から褒美を与えられた部下ですし、もちろん、足が三本という記述はありません。八咫烏神社の由緒書に似ています。
▼文献4
『倭名類聚抄(源順/930年代)』
オロモルフが見つけた、『〈八咫烏〉=〈三足烏〉』説の最古の文献がこれです。
平安中期に編纂され、世界的に見てもひじょうに古い百科事典(これとは別に世界最古の百科事典も日本が出しています)として有名です。
この冒頭近くに、
「天地部第一 景宿類一 陽烏」
――という項目があり、そこに、以下のように記されています。
「歴天記云、日中有三足烏、赤色、今案文選謂之陽烏、日本紀謂之頭八咫烏、田氏私記云、夜太加良須、」
『歴天記』は今は失われた本です。『文選』と『田氏私記』は、それぞれシナと日本の有名な本です。『日本紀』は『日本書紀』です。
ここに、『〈八咫烏〉=〈三足烏〉』という説が書かれているわけですが、その文章は、『倭名類聚抄』より前の本や口伝を引用してあるのではなく、「今案(いま案ずるに)」で分かりますように、この百科事典の編者の源順の考えでは「〈三足烏〉は〈八咫烏〉だろう」としているだけです。
つまり、源順の個人的な意見として記されているだけなのです。
この源順の個人的な見解を、有名な二人の天才学者が否定しています。
それが次の二つの文献です。