トップページ]>[歴史のページ]>[「三種の神器」の心]

桓武天皇の生母問題・三足烏補遺

 少々くどくなりますが、〈三足烏〉についての文献でその後気づいた二編を記します。

◎『讃岐典侍日記』藤原顕綱の娘長子の日記(平安後期の1108年ごろ成立)
 この中の文。
「我は何事にも、目もたたすのみおほえて、南のかたをみれは、せいのやたからす、見もしらぬものとも、大かしらなとたてわたしたる見るも」
 オロモルフには分かりにくい文章ですが、朝賀即位などの時に庭上に立てる幟でその先端に金銅製の烏がついたものを〈八咫烏〉と呼んだらしく、それを見た有様のようです。
 それが三本足であったかどうかは分かりませんが、辞書にシナの三足烏と並べて書いてあったので、その可能性があります。
 だとしますと、『倭名類聚抄箋注』の影響があるのかもしれません。80年あとの日記ですから。
(小学館『日本国語大辞典』より)

◎『神皇正統記』の「巻の二」
 前記しました北畠親房の『神皇正統記』にも、〈八咫烏〉のことがあり、次のように書かれています。
「神魂命の孫武津之身命、鴨武津命とも云ふ、大烏となりて、軍の御前につかまつる。天皇ほめて、八咫烏と號し給ふ」
 南北朝になってもなお、『〈八咫烏〉=〈三足烏〉』という混乱はなく、しかも「武将に与えた称号」という書き方です。
『倭名類聚抄箋注』の影響はありません。
 北畠親房は当時の随一の学者ですので、この記述も尊重すべきだと思います。
 

前ページへ


トップページ]>[歴史のページ]>[「三種の神器」の心]