第一章:高橋是清の青春
第二章:欧米列強の特許制度
第三章:明治前発明家伝
第四章:明治十八年特許法の誕生
第五章:明治前期発明家伝
第六章:不平等条約と特許法
第七章:明治中後期発明家伝
第八章:大正〜昭和初期発明家伝
第九章:戦中〜昭和五十年代発明家伝
第十章:昭和の終わりから平成まで
高橋是清の青春05
◇明治八年十月(二十一歳)
モーレー博士が離日したため、大阪英語学校の校長となるが、そこで仏教に凝り、わずか四日で退職してしまった。是清の宗教感覚は、南校のフルベツキ教頭の影響でキリスト教に傾いていたが、この年からキリスト教とは距離をおくようになったらしい。
◇明治九年五月(二十一歳)
知人の世話で東京英語学校の教官となった。また塾で妹の香子の面倒をみてくれていた西郷フジと、養祖母のすすめで結婚した。ただしフジは子供を産んだのち、明治十七年に病没している。
◇明治十年三月(二十三歳)
東京英語学校の校長の芸者遊びを批判して、学校を退職し、騙されて牛馬豚事業に投資して失敗する。
この年、長男是賢誕生。
これ以後数年間は、翻訳業で稼いだり、共立学校で大学予備門に入る生徒を教えて成果をあげたり、仲買商となって相場に失敗して大損したりし、経済的に苦しんだ。
◇明治十一年九月(二十三歳)
(たぶん)共立学校の英語教員として雇われ、かろうじて生活する。
◆◆◆農商務省で天職を得る◆◆◆
ついに高橋是清の才能が開花し、国家に尽くす重要な仕事を完遂する時がくる。
明治十四年のことである。
明治前半は痛快な時代である。
これほど浮き沈みの激しい高橋是清だが、その希有な体験と才能を、国家は放っておかなかった。
明治十四年四月、二十六歳になっていた青年・是清は、翻然として悟るところがあって、官途について国に尽くす決意をし、文部省を志願した。
相場失敗と芸者遊びが知られていて落とされそうになるが、省の幹部に直接面会を求めて、
「昨日の高橋と今日の高橋は違う」
――と談判し、かろうじて採用される。
はじめは文部省御用掛だったが、一ヶ月で、この年に新設された農商務省に異動となった。
身分は「雇い」で、一時的には降格だったが、是清は気にしなかった。
重要な仕事を与えられたからである。
農商務省の工務局では、商標・特許法の制定が所管となったが、人材がいない。そこで、是清がヘボン博士やモーレー博士から刺激を受けて、工業所有権の重要性を前々から主張していることを知った局長が、責任者として招いたのである。
この時――すなわち明治十四年五月/二十六歳――から、高橋是清は、商標法と特許法の制定に向けて、法案作成から要人説得まで、獅子奮迅の活躍をはじめる。
この活躍の過程で、同省書記官で殖産興業の思想家としても知られる前田正名の知遇を得、強烈な影響を受ける。
すなわち、
「国家とは自分の上にあるものではなく、自分と一体のものだ」
――との信念を叩きこまれたのである。
高橋是清の知識と才覚はすぐに実り、明治十七年六月七日(二十九歳のとき)、日本初の《商標条例》が布告され、同年十月一日に施行された。
これが日本における工業所有権の先駆けであった。
(日本の現在の工業所有権は、特許・実用新案・商標・意匠の四つからなっている)
この法律は、明治十八年一月には小修正したが、このとき明治天皇の御前で商標の意味を必死で説明する是清の珍妙な姿は、のちのちまで明治元勲たちの語りぐさになった。
是清はこのあと直ちに、待望の特許法の制定にとりかかる。
明治十七年六月には農商務省内にできた「商標登録所」の初代所長になるが、翌明治十八年三月にはこの中に「専売特許所」が設けられた。
01.不平等条約と特許制度の意外な関係
02.井上馨を説得した高橋是清の卓見
特許行政においても人材を輩出した明治日本
03.女中の子に生まれ、他家にもらわれる
騙されて奴隷となってアメリカに行く
04.帰国後の波瀾万丈
仕官・教育・結婚・失敗・貧困
05. 上記の続き
農商務省で天職を得る
06. 上記の続き
欧米珍道中の成果としての三条例
07.ペルー銀山で騙され、銀行で丁稚奉公し、再起をはかる