トップページ]>[歴史のページ]>[日本の特許史]

INDEX

明治前発明家伝01

 明治前の発明家伝として、日本人が近代的特許制度に目覚めるまでの発明家たちの活躍を調べてみることにする。
 日本の技術的な発明開発は、幕末から明治にかけて突然あらわれたものではなく、きわめて古い歴史をもっている。
 ここではその古い歴史を振り返ることからはじめよう。

◆◆◆縄文時代から古代まで◆◆◆

 日本人の技術の歴史は、世界的に見ても、とても古い。
 石器は別にしても、世界でもユニークな縄文土器は、一万七千年前からとも言われるし、漆製品も九千年前の縄文遺跡から発掘されている。
 いずれも世界最古である。
 芸術性や技巧性からいっても、たとえば火炎土器など、世界屈指である。

 このような技術好きの性格は、『古事記』や『日本書紀』の神話にも見ることができる。
〈天照大神〉の天の岩屋隠れのとき、出ていただくために、神鏡や勾玉をつくって飾ったが、それらを製造した人(神)の名が記録されている。
 すなわち、鏡をつくったのは伊斯許理度売命で作鏡連の先祖、勾玉をつくったのは玉祖命で玉祖連の先祖とされている。

 このことはまた、古い時代から、特権(朝廷による一種の特許)を与えられた技術者集団があったことを物語ってもいる。
 大和朝廷に仕える世襲的な技術者集団としては、玉造部、土師部、鍛冶部、錦織部、陶部・・・などの「部」があり、七世紀の大化改新以後も律令体制のなかで実質的に引き継がれている。

 このような技術者集団の祖は、土木建築の面でも優れた仕事を残している。
 たとえば、巨大な前方後円墳は、二世紀にはじまり三世紀に本格化しており、当時の設計技術と土木工事技術のレベルの高さをあらわしている。
 大きさだけをとっても、二世紀末にすでにサッカーグラウンドより大きな前方後円墳の祖型が見られるし、三世紀にはじまる前方後円墳の本格構造は、隔絶した大きさ(東京ドームより大きい!)と、世界に類を見ない独特な形状をもっている。
 五世紀初めと推定される應神・仁徳陵は、周濠を加えると長さ一キロに近い巨大さで、墳墓面積では世界一である。
 さらに、これら古墳から発掘される埴輪も、世界に類のない芸術品である。

 技術者集団は建築にも活躍したと考えられ、伊勢神宮の荘厳な御正殿や御宝殿は、弥生時代の宮殿や宝庫の面影を残している。
 また、出雲大社などは、創建時は高さ数十メートルもあったとされている。

 神社に奉納された刀剣の技術も、きわめて優れたもので、古代の刀剣を忠実に複製したとされる伊勢神宮の神宝、須賀利御太刀や玉纏御太刀は、絢爛たる芸術品である。
 この太刀には、装飾としてガラス玉が多数使用されているが、ガラス工芸もまた古代から盛んで、古墳からも多く出土するし、奈良時代にかけても多くの傑作を生んでいる。
 

前ページへ 次ページへ

第三章INDEX


トップページ]>[歴史のページ]>[日本の特許史]