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01.一 皇統「万世一系」の思想――明治憲法の第一条〈一〉
    一・一 「万世一系」という言葉
        伊藤博文たちの猛勉強
02.     『憲法義解』にある解説
03.     「万世一系」の語源
04. 一・二 『神皇正統記』の思想
        『神皇正統記』に見る「万世一系」の思想
05.       上記の続き
06.     「万世一系」と「三種の神器」
07. 一・三 『愚管抄』の思想
        『愚管抄』にある慈圓の見解
        〈天照大神〉のご命令
08.     第一の功績 蘇我入鹿の排除
        第二の功績 光仁天皇の擁立
09.     第三の功績 光孝天皇の擁立
10.二 〈うしはく〉と〈しらす〉の違い――明治憲法の第一条〈二〉
    二・一 二種類の統治〈うしはく〉と〈しらす〉
        明治憲法第一条の「統治」
11.     「国譲り」の物語
12.     二種類の支配があること
        〈うしはく〉の由来
13.     〈しらす〉の由来
14.     当てはめられた漢字
        井上毅の演説から
15.     まとめますと・・・

『明治憲法第一条(万世一系と統治)』09

◎第三の功績 光孝天皇の擁立

 藤原基經(八三六〜八九一)は、平安前期の有名な政治家で、第五十七代陽成天皇の摂政・太政大臣をつとめ、また次の光孝天皇、さらにその次の宇多天皇にもお仕えして、内外の政務を担当し、また六国史の五番目にあたる『日本文徳天皇實録』の編纂にも力を尽くしました。
 宇多天皇の時代に史上初めての関白となったことでも知られています。
 平安期最大の政治家でしょう。
 慈圓の文に出てくる昭宣公とは、基經の謚号です。

 この基經がはじめ仕えていたのは第五十七代の陽成天皇でしたが、この天皇は、生来のものなのかそれともご病気によるものなのかは不明ですが、粗暴なふるまいが多くあり、人心は朝廷から離れ、皇統は危機に見舞われました。
 陽成天皇は第五十六代清和天皇の皇子で、八歳で即位したので藤原基經が摂政として政務をとりしきっていました。
 しかしその粗暴ぶりに基經は失望し、やむをえず、退位を画策し、年輩の光孝天皇の即位を推進しました。
 こうして第五十八代となった光孝天皇は、陽成天皇にとっては祖父の弟にあたり、実年齢もずっと上でしたが、争いを好まない穏和きわまりないご性格で、この点が陽成天皇の乱暴に懲りた人たちの賛同を得た理由でした。

 光孝天皇は即位後四年で崩御されましたが、皇子皇女を臣下に降ろしておられました。
 崩御の直前、天皇は藤原基經と相談して、その中の一人の源定省を皇太子に定めますが、それが次の宇多天皇です。
 臣籍になっておられたため、皇族から臣籍降下された御方が皇族に復帰して天皇になられた最初の例として知られております。
 これは、現在の皇室典範改正問題で、話題になっている事です。
 終戦直後に臣籍降下なさった元皇族のご子孫の復帰が、現在の皇嗣難の解決法として有力だからです。
 また、この宇多天皇のつぎの第六十代醍醐天皇も、臣籍にあったときの御降誕ですので、やはり臣籍からの復活の第二の例とされております。
 なお宇多天皇は、基經没後に菅原道眞を重用したことで知られています。
(基經ら藤原一族の俊才たちは、慈圓の愚管抄で高く評価されておりますが、もちろんその政治の目的は皇統を守ると同時に藤原氏の権力を高める事でもあり、客観的に見れば、功罪のあるのは当然です。光孝天皇はいわゆるやり手ではありませんから、政治の実権は基經がにぎりました)

 以上に示しました三つの功績のうち、とくにあとの二つは、「諫言問題」に似た点があります。
 つまり、そのときの天皇のご意向に反して、皇統のためにより良い皇嗣を選んだということでして、その時かぎりの決断としては、大きな不忠です。
 皇統を重んじる忠臣たちが、あえてこのような不忠をおかしたのは、『日本書紀』にありましたような、「〈天照大神〉によって皇室の護りをまかされてきた」という、目の前の天皇より上位の価値判断基準があったからだと考えられます。

 自分たち一族のための政治的思惑はもちろん有ったでしょうが、単にそれだけなら、外戚などに満足せず、最大の権力者が自ら天皇になればよいわけで、そうはせずに「三功」のような事を藤原一族がおこなったのは、やはり〈天照大神〉の教えという「時の天皇より上位の判断基準によって理論武装されていた」からでありましょう。

 前に著者が仮に名づけた言い方では、『「三種の神器」の心』です。

*****

 なお、ここで引用しました古い史料のどれにも、「男系」という表現はありません。しかしこれら史料の著者が「女系」でも「万世一系」と考えていたようには思えません。
「男系」が当然なので、とくには記さなかったのでありましょう。

【明日から「万世一系」と対をなす「統治」に移ります】
(みなさま、良いお年をお迎えください)

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