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国際通信の日本史2

■□■□■ 第一章 明治二十三年
      呼子〜壱岐〜対馬間海底ケーブル決死の奪回折衝 ■□■□■


■■■ 一・一 喫緊の重大事だった対馬回線の自主権奪回 ■■■


 時は明治二十三年十二月。
 所は上海。
 通訳をともなった一人の日本人が、一人のデンマーク人を相手に、決死の形相で談判していた。
 日本人はまなじりを決して食い下がり、デンマーク人はのらりくらりと話の焦点をぼかそうとしている。

 日本人は名前を若宮正音といい、電気通信業務を担当する逓信省電務局次長であり、同時に逓信大臣秘書官や大臣官房課長を兼務し、逓信省きっての論客として鳴り響く俊才だった。
(逓信省とは郵政・運輸・国内外通信などを管轄する役所)
 一方デンマーク人は、『大北電信会社』という海底ケーブルを運営する企業の極東地区総支配人で、ヘニングセンという名前だった。

 若宮正音の主張は、
「大北電信会社が運営する日本〜朝鮮間海底ケーブルによる電報の扱いや料金をすべて日本政府に任せよ」
 それが駄目なら、
「日朝間海底ケーブルのうち佐賀県突端の呼子から壱岐を通って対馬までは純然たる日本の領土に布設されているのだから、その施設や運営は日本が権利を持つべきであり、適正な価格で譲渡されたい」
 というものだった。

     *

 このころ、隣国の李氏朝鮮では、日本人の身に危険が及ぶさまざまな事件が起こっていた。
 また清国(当時のシナ大陸の中央政権の名でその大もとは満洲族)の横暴によって日清戦争が予感されるご時勢でもあった。
 さらにはロシアも虎視眈々として南下を狙っていた。
 したがって半島との間に横たわる対馬や壱岐は地政学的にも軍事基地としてもきわめて重要であり、その通信施設が他国の企業に支配されて陸上の局舎ですら日本人に手出しができない状態におかれているというのは、日本政府にとって、国の安全を守るうえでとうてい看過できない事態だった。
 すなわち若宮が背負っているのは、逓信省だけの利害ではなく、日本全体の国益だったのだ。

[この節つづく]

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