トップページ]>[歴史のページ]>[国際通信の日本史]

INDEX

国際通信の日本史83

■□■□■ 第五章 明治十五年
      屈辱の新免許状――「無限の権利」という言質―― ■□■□■


■■■ 五・一 京城事変で焦った日本側の事情と大北電信会社の隠し球 ■■■


 さていよいよ、明治十五年の「痛恨・屈辱の新免許状」について語らねばならない。

 この問題のそもそもの発端は、朝鮮における日本人殺害事件であった。
 李氏朝鮮は古くから清国を宗主国としており、江戸時代の日本と同様に鎖国していたが、日本が働きかけて明治九年に開国(日朝修好条規)する。
 ペリーを見習って日本が朝鮮に開国を促したのだ。
 ところが、日本に倣って近代化を図ろうとする一派と清国寄りの守旧派との間で対立が生じ、その余波で暴徒が日本人を殺害し日本公使館を襲い、その機会を狙って清国が軍隊を送り込んで実権を握ろうとする――という事件が、明治十五年の七月に起こった。

 この報はすぐには日本に伝わらず、逃げ延びた公使や公使館員たちがイギリス船に助けられて長崎に着いてはじめて日本政府の知るところとなり、政府はただちに軍艦で公使を再送して守旧派と談判し、賠償などを得た。
 この事件(京城事変/壬午事変)はとりあえずはこれで決着したが、その後は清国による朝鮮支配がさらに進み、明治十七年には再び清国派と日本派の抗争(京城事変/甲申事変)が生じ、日本人がまた殺された。
 これ以後、朝鮮半島をめぐる清国と日本の軋轢が激しさを増すことになる。

 この軋轢はすでに明治七年の台湾出兵事件(台湾で日本人が殺害されたことへの反撃)のころから顕著になっていたが、より根本的な原因はシナ王朝が昔から持っている、周辺の東南アジアや朝鮮や日本を属国視する中華思想(册封体制)にあり、清国が中華民国や中国に変わってもそれは抜き難く現在にまで続いている。
 また朝鮮が昔から――自国が植民地化されているにもかかわらず――独立国の日本人を蔑んできた小中華主義(中国に近いほど偉く遠い国ほど野蛮だという華夷秩序感覚/呉善花氏による)も、半島問題をいつも厄介なものにしている。
 この小中華主義もまた、册封体制の後遺症であり、抜き難く現在にまで続いている。

 詳しいことは一般の歴史書にゆずるが、とにかく日本としては、朝鮮に居留する日本人との電信連絡をどのようにしてとるかが大問題となったのだ。
 さらに十年後の日清戦争への予感もあったから、日本政府の「対朝鮮電信線」への要望はひじょうに強いものになっていった。

[この節つづく]

前ページへ 次ページへ

第五章INDEX

トップページ]>[歴史のページ]>[国際通信の日本史]