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国際通信の日本史110

■□■□■ 第七章 明治三十七、八年
      日露戦争で証明された兒玉源太郎の先見の明 ■□■□■


■■■ 七・一 活かされた兒玉構想――台湾を経由して米英に連絡―― ■■■


 さあいよいよ――と言っても、本書は戦史ではないので、国際通信に関係する問題だけに絞って記述することとする。
 日露戦争は、ロシアにとっては首都からはるか彼方にある植民地の先端部でさらに領土を増やそうとする「領土拡張戦争」にすぎなかったが、日本にとっては――陸軍は一桁上、海軍も二倍以上の兵力をもつ大国の侵略をくい止める戦いだから――のるかそるかの悲壮な国民戦争だった。
 さらに、ほんとうは一緒に戦うべき清国と韓国(李朝末期の朝鮮)が、すでにロシアや欧州列強に植民地化されたりそれに近い状態になったりしていたので、通信問題一つとっても、すべて日本が独自に建設・運営・防衛しなければならないという、困難を極める戦争であった。

 対ロシア戦争への陸軍のそなえは、直前まで田村怡与造が中心となり、その急死によって開戦数カ月前の明治三十六年十月から兒玉源太郎が中心となったことは前述のとおりであるが、そのそなえの中には当然電信電話があった。
 また海軍は、辣腕の山本權兵衛海軍大臣があらゆる手段を講じて対露戦略を構築していた。
 その実務を担った中心人物が、司馬遼太郎『坂の上の雲』の主人公で連合艦隊の参謀を終始務めた秋山眞之だった。
 そして山本も秋山も通信の重要性をじつによく認識しており、また専門知識も豊富だった。

 このような有能な指導者たちによって、明治三十六年の電信電話回線は急ピッチで臨戦態勢を整えてゆく。
 すなわち逓信省(時の逓信大臣は警察畑で辣腕をふるった大浦兼武)では、軍の依頼を受け、臨時事件費を用いて、横須賀・佐世保・小倉・青森などの軍港用に電信(長距離)を増設し、電話交換(短距離)を開始した。
 また、東京〜佐世保間直通電話線を特急で架渉した。これは当時としては、世界で二番目に長い電話回線だった。

[この節つづく]

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